ああ、野口悠紀雄『「超」集中法』書評
2016-03-06 Sun 08:12
新しい知見に期待したらたぶん落胆する。

しかしそうであっても強弁はできる。
2:8戦略はいまでも有効であるとか、
あるいは野口氏が従前から語ってきたノウハウをコンパクトに整理してみせているのだから再確認するには役立つ、とか。

新書判一冊で、コアを探り当てるノウハウが手に入るはずがない。
常識的にはそう考えるのが妥当だ。
しかし、「超」整理法・「超」勉強法・「超」英語法 の実績において、野口氏に対する期待値は高い。

だから、がっかりした気分はぬぐえない。
一冊を費やさずとも、ひと言でつきているからだ。
“「2:8法則」が重要という指摘の基礎にあるのは、世の中には『ベキ乗則』に従う現象が多い」という認識です。”

肝腎のノウハウは断片的で、羅列的で、した足らずだから役に立たない。

ブックオフでたまたま買った数冊の一冊だからと思いながら、残念という気分を引きずる。

2:8戦略には明確な根拠があるのだから、これを使いつづけてやろう。
むしろ、そうした野口氏の強烈で執拗なモチベーション、姿勢を見せつけて欲しかった。
期待して次のノウハウ本を待とう。
別窓 | 読書趣味おしゃれに旅健康 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
絵をしつらえる
2016-02-26 Fri 18:14
有福な邸宅の玄関ホールや大きなリビングを想像し、見せびらかしのようで、いい趣味とは思えなかった。

近ごろ玄関回り、階段室、リビングのあいた壁に絵を掛けるようになった。

ながいあいだゴッホやモネのポスターをアルミの額に入れ飾っていたが、少しずつ買いためた絵画を空白に埋めるようになった。

値のはるのは一点もないが、自分の出せる範囲でえらんだ油彩画である。

飲み屋から帰宅し暗がりの階段室を灯すと、絵画が浮かび上がる。
ポスターとは違い、才能は判定できないが、そうやって付き合っていくと個性が眼につくようになる。
なんだかなじんできて、そこにあることのうれしさを感じるようになった。

時々入れかえてみる。
その時は思ったほどには気に入らないなと感じながらも、それでも何週間か、何ヶ月かみている。
そうやって付き合っているといい所が眼についてくる。

こうやって親しく付き合うことが少なくなった自分のあり方にふっと気付かされる。

おれの眼もまんざらではないと臆面もない自慢の底に、にがい満足感が残っているのを感じる。

絵をしつらえる
別窓 | 読書趣味おしゃれに旅健康 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
翻訳者をかえることー熊野純彦訳『存在と時間』ー
2016-02-23 Tue 08:39
テキストをかえる。
この場合原典はハイデガー『存在と時間』だから、翻訳「者」をかえることだ。

たとえばドストエフスキーであれば米川訳になじんでいるから、他の翻訳本では彼の世界に入り込めない。
なれてしまっている。
彼の訳において、ドストエフスキーの世界観に入り込めた。

いまさら他の翻訳者に取り組む気はおきない。

手慣れた、手持ちの翻訳本を読返す。
そこにちょっとした工夫を加えるつもりだった。
読書方針を「一章ずつ、交互に、違う翻訳者の異なった訳を並行して読む」読書方針を立てた。

伝わってくるものが違う。

そのため理解が進むどころか、かえって混乱した。

この数年、『存在と時間』の新訳が次々と出ていた。
なじんだ翻訳に頼り切って読み進めることに疑問を感じ、次の翻訳本を手にとってみた。
・熊野純彦訳『存在と時間』
・中山 元訳『存在と時間 1 』

迷うことは多々ある。
が、異なった訳の併読は原文を読めない読者に取っては毒(害)が大きい(と感じた)。
それでも成果は少なからずあったと思う。

三冊の翻訳本の「序論〈第一節〜第八節〉」個所をそれぞれ読込み、結果序論を三たび読返すことになった。

・熊野純彦訳『存在と時間』
・細谷貞男訳『存在と時間』
・桑木 務訳『存在と時間』

一人の翻訳「者」において、読み通すことに戻す。
熊野純彦訳『存在と時間』にした。
他の訳は参照文献として、気になる箇所をじっくりあたる程度にしようと思っている。

また、序論から、しかし今度は通しで読む。

熊野純彦訳『存在と時間』
別窓 | 読書趣味おしゃれに旅健康 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
一章ずつ細谷貞雄訳を読んだら桑木務訳で読む
2016-02-15 Mon 11:22
ハイデガーはあいかわらず難解であるが、読みにくくはない。

万端かどうかは分からないが、それなりの下ごしらえをし、今日から『存在と時間』に取りかかる。

実直に読むだけで、読み方に特別の工夫をするつもりも、アイディアもなかった。

唐突に思いついた。
一章ずつ読んでいくだけのことだが、細谷貞雄訳の一章を読んだら、次はただちに同一章を桑木務訳で読む、そんな読書方針を立てた。
読返しにすぎないかも知れないし、異なった訳を並行して読むことで理解が進むかも知れない。

教科書などは二度読み、三度読みをくり返したものだが、これを応用することにした。

下準備が効いて読むこと自体に停滞したり、前後が分からなくなって先へ進めないといった逡巡はない。
ある思考の水準に達すればいい
水準といっても専門的に掘り下げようという気はない。

「何をいっているのか」が分かりさえすれば、それなりの水準だと心得、充分楽しもうと思う。

半年をかけハイデガー『存在と時間』をそこそこ理解できるようになろうというプランは、思いのほか早く進んでいる。

この方法がうまくいくようなら、アインシュタイン『相対性理論』等々へ進もうと思うが、まだそれは先のことだ。

一章ずつ細谷貞雄訳を読んだら桑木務訳で読む
別窓 | 読書趣味おしゃれに旅健康 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
戸栗美術館と東京都庭園美術館
2016-02-05 Fri 17:44
『ガレの庭 花々と声なきものたちの言葉』の展示は申し分なかったが、東京都庭園美術館の鑑賞者に対する姿勢にはがっかりした。

《蘭文八角扁壷「親愛」(カトレア)》 はすばらしかった。
《脚付杯 ひなげし》《花瓶 松》《花瓶 茄子》、エミール・ガレの透過するガラス作品に文句はない。
箱根ラリック美術館やポーラ美術館のコレクションを観た時のように、わくわくした。

不透明の白磁に描かれたこってりとした色絵皿(飾り皿)は出品数も少なく物足らなく感じ、そこから不平がわいてきた。

東京都庭園美術館近くのめぐろ三ツ星食堂でランチした直後で、エビオムカレーで満ち足りていたから、空腹が僕を不快にさせたのではない。
東京都庭園美術館には、出展品リストがなかった。
アンリエット・ガレ=グリムの「あいさつ文」がそえられてあったが、そんなものは鑑賞者に親切(役に立つ)とはいえない。

前日僕は戸栗美術館『鍋島焼展』で最高のもてなしを受けていた。

・案内リーフレット
・出展品リスト
・展示解説シート
・「学芸の小部屋」ブログの解説集
・展示解説日の設置

鍋島焼の絵皿に比べれば、ガレのそれはごてごてしていただけない。

しかしそれについては後日書こう。

各展示に1回の特別講座に参加できる東京都庭園美術館「年会員」になった。
別窓 | 読書趣味おしゃれに旅健康 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
BACK | 三保小次郎日誌 | NEXT