時間はすぐ腐る、今日を新鮮に保つ法
2016-01-27 Wed 07:56
個人的な規律にすぎないのですが、朝のスタートにその日一日の筋書き(narrative plots)を描いてみます。

わたくしのケースをいえば、一日のはじまりに15分ほどプランを構想し、まずは日記に箇条書き〈to-do-list〉を記します。
これをプロットとして、一日に配置していきます。
シナリオや小説と同等です。

ときには三十分、小一時間とそのことに手間ひまを掛けることをいといません。

その日の流れ(ストーリー)をつくり出します。

老年者の一日?

ひと言でいえば、他人に浸食される恐れはほとんどありません。
丸ごと、有り余っています。
ですから、とりわけ老年者の一日は腐りやすいのです。

老いの一日は短く、時間は掌のすき間からだだ漏れしていくのです。

かって仕事に専念した若き頃は、自らを人的資源に仕立て「目標管理」を徹底したものです。

会社から、あるいは一定程度社会から自由になったのですから、今や自由人であるはずです。

ところが自由が手に余るのです。
やるべきことがなくなり、フッとやりたいことに眼を転じるのですが、エンプティ〈空〉であった、ことに気付かされます。
こうしてそば打ち中年やさまよえる旅行好き老人、趣味しか「趣味」のない趣味人がはびこることになります。

老年期にあっては、会社からは支給されない「目標管理」の目標そのものを自ら設定しなければなりません。

さいわい32歳のとき組織から自営に転じ、生き延びるためにあれこれの工夫を重ね身につけた自律の習性が老年期にも多少通用するようです。
「始動訓」をいつ作り、使いはじめたか記憶をたどれませんが、およそ二十年ほど前でしようか。
今も改良をつづけています。

始動訓の表

今日の午後、わたくしは千歳船橋に行きます。
jorudan.co.jpで検索し、乗車案内から時間を手帳に棒線で落とし込みます。
世田谷美術館他数カ所をgoogleで確かめ、おおよその街歩きプランと今日メインディッシュであるジンギスカン料理の店を書き込みます。

プランどおりにすすむことはむしろマレです。
アクシデントは醍醐味です。
ストーリーがあるからこそ、その日のアクシデントはたまらない魅力を持つのです。

プランと違ったら、バーティカル時間帯に棒線をずらして記入し、そこに内容を書き込むことにしています。
実績(記録)は、老年にあっても成長を知り、それを促す動機になります。

何をやったか、何をやろうとしているか、何がやりたいかはすべて結び付いてあるのです。
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君は選択肢を無くした老人なのか?
2015-12-30 Wed 10:42
一年なにをしてきたかを考える前に、何をしようとしたか、振り返っておこう。

三十年近く、人生において、これからなにをしていくのかという選択を「未来年表」という形式で書きとめてきた。
六十七歳にあって「未来年表」の彼方になにがあるか、これほど明確なファクトはないのだから、年表という形式を捨てた。
1年後、3年後、5年後には意味があることを記せたが、十年後は自分の選択肢が保証されているとは限らない。

僕が今持っているのは、「バランスのとれた生活の上に老生を築く」指針である。

未来年表指針2015
*クリック拡大

指針に導かれ、毎年、その年やりたいことの五大リストを記す。
わずか二日を残して、2015年の結果を書きとめるのは面倒だが、ざっと「二人の若者とオリーブオイルとワインの輸入販売会社を設立」、「油彩画やコスチュームジュエリーを蒐集」、「外貨投資、ETF売買、実物投資などマーケット実践を日々くり返し」、「純米酒にこだわり」、記せないadventureがあった。

ブログという表現形式になにを盛り込むか、戸惑いが生じた年でもあった。
一時書くのをやめていた。
書きたいことと、書けることのはざまで、これからもちゅうちょするのだろうが、読み手がいる限りは細々とつづけていこうとは思っている。

さて、「2016年やりたいことの五大リスト」の3は、「ファイナンシャル理論の学習、ハイデガー『存在と時間』の研究、短編小説の探索をつづける」である。
マンダラノートに「ハイデガー『存在と時間』の研究」の見取り図を書いた。
すでにスタートしたが、研究といっても自分の理解を深める以上の意味はない。

五大リストに取組む一年がはじまろうとしている。

すくなくとも、五大リストをかかげ年をまたぐのだから、自分が選択肢を持たない老人だとは考えていない。

ハイデガー『存在と時間』の研究
*クリック拡大
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今でしょうか?
2015-11-04 Wed 10:21
キーボードが刺さらない。
「ー」と「ろ」を打ち込んでも、無反応で、表示されない。
リスタートしたら解消されたが、お化けのようで今日のスタートは感心しなかった。

たった二文字が表示されないだけで、思考がストップしたように感じた。

ましてネット空間にアクセスできなくなったら、パニックになるだろうと想像がふくらんだ。

たとえば車中の人たちだ。
目の前をほとんど見ていない。
そこにはありふれてはいるが、確実にどこか違った現実が進行している。

「前の車両は玉川学園で気分を悪くした乗客をおろし終わり今発車したところです。町田には5分遅れで到着する予定です。」

人々が見入っているのはネットだ。
目の前の現実よりもネットにあふれる情報に強く依存している。
強烈にネットに同期している。

ネットにアクセスできなくなったらどうだろう。

いかなるパニックが起こるだろう。

そう考えながら、手元の文庫を開いた。
今に刺さらなくても(アクセス)不安はない。
そこには歴史という検証によって、インテグレートされた知恵が待ち受けている。

じっと文字に目をこらせばいい。
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清算できない最後のアナログ・スタイル
2015-07-11 Sat 11:42
旅行に行く、あるいは火事や災害時にもち出すモノが一つだけある。
USBだ。
デジタルを持ち出す。

100%習慣化しないといけないと思っているが、日帰りなどの折りにはつい忘れている。

実務的な意味合いが強い。
これがあれば次の日から再建に取りかかれる。
何もかもとはいい切れないが、ほとんど必要なデータは数十グラムに貯蔵してある。

原本は消失してしてしまっても、データが残っていれば再生ができる。

生活が再建できる。

Excelという便利なツールが一覧化を助けてくれる。
日々変化し、生のままではまとまりのないデータを常日頃からメンテナンスしないといけない。

今でこそすべての作業がデジタル化したが、二十五年かかって手に入れたスタイルだ。
というより二十五年過ぎ、身についたのがデジタル生活だった。
デジタル生活のスタートにあったは、Macintosh SE/30とフロッピーディスク。

世界はアナログ。

デジタルは記号と記号化規則。

すべてを再現できるわけではない。
ワープロ・アプリの進化の過程でアレコレと乗り換えたため、アクセスできなくなったデータ群が存在する。
記号は残っているが、規則が変遷し、致命傷になった。

今ではもっぱらエディターを基本に使っている。
テキストは不変だから。
Excelは息の長いアプリだから、まさか無くなる事はないものと信じ、使いつづけている。

MacにはTime Machineが装備されていて、HDに自動で同期されるが、これとて安心できない。
クラウドに保存すれば?
個人データをセキュリティーフリーに保存する事に疑問をもっている。

で、どうしても最後の最後で、USBの持ち運びと言うアナログ・スタイルだけは清算できないでいる。
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壊れたテレビは直さない
2015-06-11 Thu 15:35
若者は老人がなくしたもののほとんどすべてを持っている。
老人が持っているのは、年金と財産所得ぐらいのものだ。
財産所得とは、金銭・有価証券・土地・建物などの資産を所有・運用することから生じる所得で、利子所得・配当所得・賃貸料所得などだ。

したがって働き稼ぐことのできなくなった老人はそれにしがみつくのである。

しかしバブル崩壊以降財産所得は減るばかりで、同時期若者が就職難にあえいだように、これを所有する老人層は伸び悩む収入に首を傾げてきた。

1,991年バブル絶頂期、家計が受けとった財産所得はピークをむかえ、38兆円に達していた。
これが直近の2,011年には、12.1兆円と激減している。
往時の31.8%にすぎない。

この国は若者も財産が生み出す果実もともにないがしろにすることで生きのびている。

さて若者には培われていない、老人のもう一つの特性がある。
長期的な見方をできるようになる経験を積んでいることだ。
もちろん老人にもよるだろうから、長期的な見方を養い、チャンスを生かした老人をとりあげよう。

1,986年から1,991年のバブル景気で数倍増した土地資産。
ピーク時をこれを売って逃げ切ったのは約60万人、働き手の0.9%だという税務データがある。
ペーパーで計算された「含み益」ではない、バブルの果実を実際にもぎ取った人たちの実績データだ。

ピンポイトンで当てた人たち以外にも、バブル崩壊過程のなかで、売りぬけた人たちもピンポイント・ヒットマンの仲間に加えてみることができそうだ。
おおよそ1,998年までに売りぬけた人たちも含めよう。
1,991年から1,998年頃に土地や株を現金・預金に移転し、もぎ取った果実ー高度成長期の蓄積ーが、今日の余裕層(富裕層)の資産形成の基礎になっていることは余り意識されていない。

それでも働き手の4、5%といったところだ。

彼らは何にすぐれていたのだろう。

確実に言えるのは、長期的に日本の経済、社会がどうなるか、そのことに目をこらしていた。

長期的な見方をすることで、目先の変化や変動にとらわれない。
長期的な見方にたつことで、認識の精度を高める。
決断の確実性を保つ。

実行にゆらぎをもちこまない。

長期にわたり影響を与えるのは何か。

たとえば毎日毎日ニュースを追っているときっと長期の見方はできなくなる。
壊れたテレビは直さない。
買い替えない。

結論が出るのは十年後二十年後だ。
長期的な作業に取りかかるのだから、短期的を排除して何の支障もない。
そして、それが一番できないことだ。
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