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2014-01-24 Fri 15:48
幼少の頃は川崎大師に初詣した。
南蒲田(現在は東蒲田)にすんでいたから近場だ。 両親に連れていかれたのだろうが、姿は思い浮かばない。 行った記憶だけ残っている。 毎年どこかには初詣でするが、どこと決まっていない。 毎年行きたいところへ行く。 お札、お守りの類いはいただかないから、返納することもない。 おとずれた神社で暦は求める。 まったくの不信心ではない。 神仏を敬う心はある。 が、じつのところ神仏のことはまったく分からない。 分からなくいい。 今年は、穴守稲荷で下車し、食通ゆたかで穴子天重とはぜ天麩羅を食してから、羽田神社を詣でた。 ついで大師橋をわたる。 川崎大師で久寿餅を買い、籠谷で飲んだ。 七草前で混雑していた。 整列した人ごみから若者の会話が聞こえてきた。 「かしわ手うつのかね。二礼二柏一礼ダよね。」 「お大師様は神社じゃねえよ。」 「神社じゃないの?」 落語みたいな会話だが、本当のことだ。 後日、BSで『天地明察』を観た。 江戸時代前期、貞観4年(862年)に唐よりもたらされた宣明暦(せんみょうれき)には、2日の誤差が生じていた。 これを正そうとした男(天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ))の話しだ。 同じ頃唐から空海によってもたらされたのが真言密教。 『旧唐書』倭国・日本伝には、「貞元二十年(八〇四年)、遣いを使わして来朝し、学生橘逸勢、学問僧空海を留めた。」とある。 同時期である。 が、これを正そうなどと思う者はいない。 暦は科学的に正された。 宗教はいかに正されるか知らない。 僕は仏教徒だと思っている。 葬式は要らない。 墓も必要と思わない。 あの世、天国地獄から帰って経験を語る者はいないのだから、分からない。 経験主義、不可知論の立場で生きてきた。 密教のこと、大乗仏教のことは皆目わからない。 難しくて理解できない。 なのになぜ仏教徒というか。 仏陀は埋葬するのも否定したと伝えられている。 僕の考えと大きく違っていない。 それで僕も仏教徒だと称している。
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