「分からないってことは、分からない所が分かっていないことだと思う」
そう告げられてもチンプンカンプンだ。
彼はやさしい目で僕を見ながら「たぶん」とつけ加え、僕はすこし安心する。
どちらかが正しく、どちらかが間違っている。
どちらか一つに決めようとする。
彼はそれを排中律的思考と呼んでいるが、「とくに男性の症状が重い」らしい。
「君、晩酌するの」
「ええ、毎晩」
「日本酒党、それとも洋酒派」
「洋酒といってもウィスキー、ビール、ワインと色々ありますけど。」
「まぁ、おおざっぱに二つに分けたとしてどちらが好み」
「日本酒ですかね」
そう答えたが、夏はビールが多めだし、冬は熱かんを好む。

おもむろに手帳を出し、四角と丸を描きはじめる。
お得意のベン図だ。
「丸Aが日本酒党、丸Bが洋酒派」
「昨日の晩酌はどっち」
「真ん中ですね」
「いいね。で、何飲んだの」
「ビールから入って、日本酒でした」
「じゃ、真ん中だ」
晩酌の問題は罪がない。
が。
たとえば「アメリカと中国どっちが好き」とか、「原発反対、賛成」はきつい。
二つに一つの選択を迫られた気分になる。
「AまたはBをベン図で見ると、AとBと、それにAとBが混ざっている」
「はぁー」
「ところがね、君のように論理的思考はあんがいできていない」
僕が論理的?というのは恐縮する。
「AかまたはB」と問われ、どちらか一つには決めかねる優柔不断。
iPhoneで検索しはじめた。
「wikipediaで和集合・・・。」
「こう定義されてる。ふたつ以上の集合の集まり(集合族)に対して、それらのいずれか少なくとも一つに含まれているような要素を全て集めることにより得られる集合のことである。」
「ところが重なっている所が白抜きになる。AまたはBが、AかBかにすり替わる。これが論理的欠陥」
「欠陥ですか」
「初歩的ミスだが、それを矯正するには図だよ、図。繰り返し図を浮かべて考える」
白抜きの所が欠陥感部分・・・。
今回もまいりました。
「又は、って問われると、思考が股裂きになっちゃうわけ。又(股?)はと来たら、和集合の図を思い浮かべると論理的思考ができてくる。」
「そんなもんですかね」
「そんなものよ」
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