独学者のつまずき
2013-09-24 Tue 06:55
独学者でしかも初学者はよくつまずく。
つまらないところで転ぶ。
数学科の学生であれば開いた口がふさがらない、そんな初歩的なことが分かっていない。

“数詞は記号、言語による表現であり、書いたり、消したり、コピーしたりできます。これに対して、数は、数詞によって名づけられ、指示されるものであり、書いたり、消したり、コピーしたりできません。”
[E. ナーゲル&J.R. ニューマン『ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ 』 白揚社 (1999/03) P.112]

何をいってるか。
言いたいか。
さっぱり分からず、そこから先きに進めなくなった。

納得のいく理解は、佐々木力『科学論入門』を読返していたときにおとずれた。

アリストテレスはヒューレー(質料)概念を発見した。
“それではーと、さらにアリストテレスは問いかけるー自然認識における数学的方法を不法に強調し過ぎたのは誰なのか?その師であるソクラテスは、普遍的な諸概念が感覚的で個別的なものごとから離れて存在するとは考えていなかった。「しかるに、あの人々はそれらを切り離した。そしてそのように離れて存在するものどもをイデアと呼んだ」「あの人々」とは、アリストテレスの師であったプラトンとその徒のことである。イデア(形相、理念)こそ実在であり、この世の感覚的で個別のものごとはそれの陰影であると見るプラトンのイデア論のごときは、アリストテレスにとっては、本末転倒でしかない”
[同書第4章2「数学・自然科学理論の臨界点」 P.154〜]

数は頭の中にしか存在しない。
イデアだ。
なるほど「書いたり、消したり、コピーしたり」できない。

数と数詞は違う。
そんな考えた方は僕の中にはまったくなかった。
それらを区別して考える思考法がなかった。

それはつねに一体であったし、混ぜこぜであった。
アリストテレスをすこしは出隆の翻訳で読んだことがあったが、頭の中は混濁していた。

数のイデアがなければ数詞は生まれなかった。
だからそれが先だと転倒してはどんなものか、とアリストテレスは問うている。
これは哲学の大問題だ。

困惑して当然の問題だったと思う。

僕ができることは、ヒューレーとイデアを意識して数学を学んでいくこと。


科学論入門 (岩波新書)科学論入門 (岩波新書)
(1996/08/21)
佐々木 力

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