習い事ーゲーデルの不完全性定理作法ー
2013-09-15 Sun 16:13
独学者にとっては、巻末に記された文献目録が頼りだ。

ゲーデルの不完全性定理を数学的に理解したい。
目標は明確にあるが、天空の先に何があるのか、かすんだ空を見つめても何も見えない。
クモの糸をのぼるようなものだ。

文献目録をたどりながら読書の巾を少しずつ広げる。

ハーケンを岩場に打ち込むように、地歩を固めていく。

きっかけは佐々木力『科学史的思考』におさめられている「ゲーデルの不完全性定理の解釈に異議ー柄谷行人『隠喩としての建築』」であった。
“安易に見られるように柄谷氏の立言には、本末転倒、ないし、ゲーデルの結果の誤解が存在するのである。(中略)
さらにまた、ゲーデルは数学が非合理的なものであることを明らかにしたのでもない。ゲーデルは、ヒルベルトの解釈よる数学の営みの限界を非形式的数学に依存して証明されたことに注意されたい。”(同著P.194)

かって柄谷氏のそれを読み、圧倒され、その才能に幻惑され、氏のゲーデルの不完全性定理理解に疑問を差し込む余力はなかった。
それだけに「ゲーデルは、ヒルベルトの解釈よる数学の営みの限界を非形式的数学に依存して証明された」という1行に釘付けになった。

しかし佐々木氏が「信頼のおける教科書」としてあげた文献リストは初学者であり、独学者には歯が立たなかった。

バイエルを弾きだしたピアニストの卵がいきなりソナタに挑戦するような次第になった。

毎日一、二時間を割くことはことは苦痛ではない。
まるでそれは第二外国語ように、立ちふさがっているのだが、自在に話し、書くまでは望んでいない。
せめて、すらすらと数学記号が読み取れるようになればと、そんな高望みは捨ててない。

だが今となってはあれもこれも捨てよう。

片手の数本の指でつきてしまう、老年の目標を一本一本の糸が切れぬよう、地道にのぼっていくだけのことだ。
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