たまごっち時代、スマホ時代
2013-08-17 Sat 14:15
ウィズから「冷えぐるみ」が送られてきました。

九十年代、たまごっちを企画した会社です。
株主優待バージョンで、まめっち、めめっち、くちばっちのキャラクター3体(アニメ「たまごっち!」シリーズ)の詰め合わせでした。
水につけ冷凍室で冷やして使います。

まだ袋から取り出さずにいます。

どこがおもしろかったのか。
たまごっちのことです。
たまごっちにかぎらず、フラフープ、だっこちゃん、ホッピング・・・を思い浮かべるとき、その時代がせんめいに浮かび上がってきます。

愛着の源泉は、きっと手元にあっていつもその成長を見守ることができたからでしょう。

そんな気がするだけで確証はありません。

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スマホのように一日にらめっこすることはありません。
気がついたら見てやる程度ですから、ジャマにはなりませんでした。
そういう濃厚にはほど遠い希薄な存在でしたが、育てがいのあるかわいいデジタルペットでした。

たまごっちには「パソコン」が内蔵されていました。
それは「パソコン」としては原始的でしたが、依存というほどには人を拘束しませんでした。
ゆるやかなインタラクティブ(interactive)で結ばれていた、といいかえることができそうです。

あきたら捨ててしまいます。
実際どこかにしまい込んだまま、姿を消してしまいましたから。
それがたまごっち時代の特徴です。

捨てることができました。

スマホのゲームを知りませんから、時代相を比較することは難しいのですが、なにかスマホ時代は煮つまってきている、そんな感じがします。

スマホも「パソコン」の一種ですが、それを単体としてくくることはできなくなっています。
それは全社会経済的なネットワークとしてはり巡らされたインフラの一部です。
僕たちは全身それにすっぽりとはまり込んで、その一部として機能しているわけです。

息苦しくなるほどに依存している、していく。
そんな実感があります。
依存が加速度的に加重し、時代のG(重力加速度、Gravitational acceleration)が増大しているように思うのです。

それは重力どうように眼には見えませんが、僕たちを支配している何かです。

たまごっちのようには、もはや捨てることのできない存在に化しているのです。

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