三木清のこと
2013-08-15 Thu 16:51
若い頃はよく親しんだが、長じてからは読まなくなった作家、学者、哲学者がある。

ヘルマン・ヘッセは『デミアン 』や『車輪の下』を愛読したが、ある日手にした『人は成熟するにつれて若くなる』で彼の晩年の文章にふれ感慨深かった。

三木清の本は、十代の頃で当時の本は手元に一冊も残っていない。
藤田正勝『哲学のヒント』に三木清のことが書かれてあった。
谷川徹三の文章を引用し、「三木はその本質においてメタフィジシァンであった。」という、一文が気になった。

谷川徹三の原文に当たってみた。
『人・文化・宗教』のおさめられている「三木清」である。
治安維持法違反で拘束され、終戦後間もなく獄中死したことは記憶にあった。

“「房を開けたら、そこにクソまみれになって」三木は死んでいたというのである。
(中略)こういう恐るべき野蛮の犠牲に三木はなったのだ。私は三木を思想や主義の殉教者とは見ていない。三木はただ言いようのない野蛮の犠牲になったのだった。”

そのなかに今日出海という作家の『三木清における人間の研究』という実名小説のことが出ていた。
個人的な感情であるが、昭和43年のことでありながら、文化庁初代長官になったこの小説家に「嫌な感じ」を覚え、その感情というか、記憶が残っていた。
谷川さんは「数々の人間的美徳がその粗野や不器用の中に隠されていたことを知っている」と記しているが、『日本文学全集 59』(集英社・昭和47年12月8日発行)を見つけ出し、今日出海の短編を読んだ。

「嫌な感じ」というか、「嫌なやつだ」という印象を増した。

その後、小林勇『遠いあし音・人はさびしき』のなかの、「孤独のひとー三木清の一周忌にー」(『世界』昭和21年1月号)、「三木清」を読んで「口直し」をした。

“三木は世渡りが不器用なひとであった。人にちやほやせず、人の顔色を読んだり、人の反応を気にしたりする人ではなかった。しかし心には人を愛する情、人に親切な心が一杯にあって、しかもそれを上手に手がるに表現することができなかった。”
(「孤独のひとー三木清の一周忌にー」から)

今日出海は彼が何も語れなくなった昭和25年にこれを発表し、同年発表した『天皇の帽子』でこの年直木賞を取った。
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