帝国の片隅で
2013-08-03 Sat 09:21
半世紀が過ぎた。
わが家の前にはかわらず米軍基地が広がっている。
それを不思議と思うか、思わないか、違いはそれだけだ。

アメリカは世界各国に七百から八百の軍事基地を持っているそうだから、ぼくが見る光景はユーラシア大陸のはずれの島だけ特別な光景ではない。

目の前にひろがる風景を共有する人びとが世界中にいるということだ。
ぼくはローマ帝国をギボンの歴史書でしか知らないが、属国において人びとはローマ駐留軍を見ていたように、ぼくはそれを眺める。
千年たてばアメリカ帝国のことがローマのように記されるのかもしれない。

戦後日本は、アメリカの核支配の下にある。
アメリカは広島、長崎に原爆を投下したことで、世界を威嚇しつづけている。
いつだってやるという実績は強烈なメッセージになった。

半世紀前僕の家のとなりには米軍の家族が住んでいた。
日系アメリカ人で、日本語を話せた。
Shibata。

増改築のとき彼らのハウスを半年ほど借りて住んだ。
ぼくがアメリカと一番近くなった時のことだ。
核支配のネットワークのなかで生存を保証され、ぼくは生きながらえているが、アメリカ(帝国)に相いれないものを感じ育ってきた。

アメリカ人の三分の一が聖書に書いてあることを信じるキリスト教徒だと言う。
ぼくはその数字を意外に感じたが、それは宗教に対するぼくや日本人の甘い認識にあるのかもしれない。
かって狂信的なオーム真理教がハルマゲドンを唱えたが、アメリカ人の少なくとも三分の一が世界の終末の到来を願う狂信的な集団であることをぼくらは見ようとしない。

原爆の製造と投下にたずさわったアメリカ人は、それでも自らが天国に行けると信じている。

僕の感性はそれを受け付けない。

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