書を捨て、うっとうしい書さいを刈り込む
2013-06-26 Wed 15:17
二度と手にとることのない本が99%だと仮定した。

根拠は毎日使っているエクセルの実績だ。
機能の99%はふれたこともない。
使うツールはごくごく限られていて、支障はないのだから、積み上げた本は黙って捨てればいいはずである。

CADのツールにも同様な事がいえる。

ITツールに80対20のパレートの法則は通用しない。
知的淘汰においては生き残るのは絶対少数だ。
本も例外ではない。

方針は簡明だった。


やるべきことは一つ、とにかく捨てる。
大量に捨てる。
「図書の90%処分など生活のダウンサイジングに着手し、2015年を目標に、ほどよく快適な小宅への移行を準備する。」

直ちにちゅうちょなく捨てればいいのであるが、捨てると確信して一年半、しかしこれが進まない。
一年放置し、二年目の半ばをすぎ、進展がない。
まったくの手つかずだった。

着手小局。

テーマごとに本を仕分けしてある。
が、いつの間にか二列にぎっしりと詰め込んだ。
裏側の本は見えない。

うっとうしい書さいになっていた。

1

一列で、しかも占有率70%のスカスカにすると決めた。
残そうとすると、本どもはすぐに居座る。
減らない。

だから拾い上げることにした。
残ったものは捨てる。
ほとんどが残るから、ブックオフで処分だ。

たぶん拾い上げるのは数%か。

一九八〇年代後半、夢中になった本を見つけた。
読了日の書き込みから三十代後半、自分がなにに関心を持っていたか再発見した。
それは今の自分の中核の思想となっている。

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