スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
さよならキュービー
2013-01-14 Mon 10:35
二十二年前だ。
バブルはピークをつけていたが、絶頂期はまだ先きにあるとたかをくくっていた頃のことだ。
渋谷PARCOで買った。

朝テーブルを四人掛かりで二階からおろした。

持ち主を代え、リサイクルで生き返るだう。

モノを捨てる。
その時代を生きた、その時の自分も捨てる。
イタリア作家のテーブルは、五千円で引き取られていった。

捨てることで決着する、その明快さは心地よかった。

1

三月に六十五になる。
老人になったのに、こころは熟してこない。
だらだらと終着駅のない列車に乗り込んだように、行き先が見えない。

どんどんと外側を削っていかなければ、老人としての生き方、芯が見えてこない気がする。
先きへ先きへとのびきった寿命を持て余す、現代老人の姿は美しくは見えない。
資産なくしぼんでいるのも、飽満した富に埋もれてあざとく歳を重ねるのも気に染まない。

老いて死ぬと簡単にはいえないのだ。

そのまえにいかに老いるか。

夕方、Mさんから携帯が入った。
「I君がなくなった」

「おとうさん」「おとうさん」「おとうさん」
北海道にいる父親と同じ歳の僕をそうよんだ。
死は唐突におとずれた。

昨夜はオダザガの和かんに仲間が何人か集まった。
みな納得のいかないくやしさがにじんでいた。
悲しい、くやしい。

この空洞は何だろう。
宙ぶらりんで完結していない気分がつきまとう。
納得がいかないのだ。

泣きじゃくる。
それしかなかった。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 生老病死 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<キューピー | 三保小次郎日誌 | 性を捨像したラブストーリー、白河三兎『私を知らないで』 >>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
∧top | under∨
| 三保小次郎日誌 |
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。