スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
死生観と死物観
2012-07-12 Thu 19:18
大森荘蔵『知の構築とその呪縛』を読みおえ一冊の本を思い出していた。
伊藤栄樹『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』だ。
大正生まれ、父親の世代の人である。

1985年、検事総長就任インタビューで「特捜検察の使命は巨悪退治です」とこたえた。

「遠山の金さんのような素朴な正義感」を語った。

伊藤さんはガンを再発し、病室に付き添う妻と語っている。
残念ながら彼が語っているのは、死生観ではない。
大森荘蔵さんの指摘する、死物観(近代科学主義)そのものだった。

“それに、四十年も、冷静、客観的に証拠を科学的に追い求め、そこから過去にあった事実を再現、認知する仕事を続けてきたせいだろう、僕の頭は、生命科学などといった分野のことは暗いながら、科学的、合理的な思考の方が受け入れやすくなってる。(P.51)”

“僕は、人は、死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じようなものになってしまうのだと思うよ。死の向こうに死者の世界とか霊界といったようなものはないと思う。死んでしまったら、当人は、まったくのゴミみたいなものと化して、意識のようなものは残らないだろうよ。(P.53)”

“康ベエには大いに不満の残る私の独り言であろう。でも、涙を浮かべながらも、じっと逆らわずに聞いてくれた。(P.55)”
自らの死を語れる相手がいる。
この世に別れを告げる時、死を語れる人がいたのだから、法外の幸福だと思う。


人は死ねばゴミになる (小学館文庫)人は死ねばゴミになる (小学館文庫)
(1998/05)
伊藤 栄樹

商品詳細を見る
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 生老病死 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<インストラクター・ボディ | 三保小次郎日誌 | 一人ひとり出来ることから>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
∧top | under∨
| 三保小次郎日誌 |
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。