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不安の時代の「不安」症
2012-06-08 Fri 07:18
六十四になって分かることがある。

五十はそんなに若くない。
四十五は思うほど若くない。
そんなことが今になって分かる。

四十の頃僕は心から若いと信じていた。
それが分水嶺(ぶんすいれい)になることを知らなかった。
日本がピークにあった時代であった。

一九八八年。

時代といっしょに踊った。

自分も、時代もピークであったことを六十四にならなければ本当には理解することはできなかった。
年表にひいた時間軸と重なり合いながら、自分の軌跡もまた見えてくる。
それは一体のものだ。

しかし不安の時代の不安と、個人の「不安」症は区別しないといけない。

「不安」は気まぐれな表現者、に書いたが、「不安」症ではじめて心身のバランスを崩したのが2,000年。
父の死を契機にしている。
父の死が「不安」の源であることに気づかないまま、深刻に心身にこたえた。

十年以上も忘れていた「不安」症が、昨年末父の十三回忌の日に「再現」した。
11時には菩提寺に行かなければならなかった。
その日は一、二時間の不体調の兆候にすぎなかった。

年が変わり、3月11日日曜日の「不安」症はひどかった。
朝から一日呼吸が苦しい。
夕方近くになると切羽詰まってきた。

医者に告げられた「急性ストレス」のひと言で、「不安」の正体がなにか、僕にはおぼろげに見えてきた。

完調とはいえないが、「不安」症に不安することはない。
歩けば呼吸が整い自然に心身がよみがえってくる。
戦う術を知っている。

3.11、日本は不安の時代に入った。

僕たちが抱えている不安は、個人の「不安」のように戦いやすい相手ではない。
不安の時代の不安が、時代を、社会をおおいつくしている。
ツケがまわってきたんだ。


あいまいにしてきた一つ一つの問題が、きっちり清算を迫っている。
ツケは払わないといけないだろう。
高度成長と原発、バブル酔いと財政破綻・・・正体ははっきりしている。
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