志賀直哉作「濠端の住まい」は大正十四年に発表されている。
そのなかに書かれている彼の朝食は当時としては庶民には知るよしもないスタイリッシュな献立だ。
「パンとバタとーバタは此県の種畜牧場で出来る上等なのがあった。ー紅茶と生の胡瓜と、時にラディシの酢漬が出来ている。」
バタとあるのはバター、ラディシはラディッシュのこと。
志賀直哉は31歳のとき、松江市内中原町、江戸期上・中級家臣の屋敷が残る一角、堀端に面した住まいに三ヶ月ほど暮らした。
「庭から石段ですぐ濠になっている。対岸は城の裏の森で、大きな木が幹を傾け、水の上に低く枝を延ばしている。」

松江には旅行で行き、小泉八雲旧居(松江市北堀町315外)をたずねている。
二度行った。
濠とは道路を隔てているから「石段ですぐ濠」ではないが、視線をギリギリさえぎる低い塀に囲まれた中庭に面した住まいの魅力にひかれた。
低い塀に空が広がっているのが、なんとも気持ちがよい気がした。
その時、濠は意識しない。
架空の土地ではない。
小泉八雲旧居に長い時間座り込んだ。
濠の周辺を半日散策した。
多少なりとも松江の武家屋敷の空気を吸い込んでいるからか、字面を追ううち、背景のように情景が映りこんできた。
縁側、軒下、苔、敷石・・そうしたものが活字の裏側から浮かんでくる。
旅は一過性のものと思い込んでいたが、違うようだ。
志賀直哉の作品と重ね合わせ、意識的に旅行した訳ではない。
偶然志賀直哉全集を読み継いでいて出会うことのできた、思いがけない果報であった。
[註]写真は「小泉八雲旧居」、2004年02月14日の旅行日記からとった。
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