『存在と時間』の魅力はアリストテレスのように哲学をすること
2016-03-27 Sun 10:32
熊野純彦訳『存在と時間』を読み終えあと、風邪をひきさんざんでした。
それでも収穫はハイデガーが超一流のアリストテレス学者であることを十二分に知りえたことです。
彼についていくなら、哲学をすることができるようになる、そんな予感がいたします。

ハイデガーには初学者には一歩としか見えない道のりを、百歩で駆け抜けていく緻密さがあるからです。

ですが、反対に「先験的決意性」は黒澤作品『生きる』に出てくる渡邊勘治(志村喬)の方がよほど描き切っていると感じましたし、「頽落」は山本周五郎『季節のない街』やゴーリキー『どん底』の方がイメージしやすいと感じました。
三十代後半の若者が書いたのですから、私のような老人には面映い部分が少なくありません。
とくに「時間性と歴史性」以降は、あわただしくとってつけたような立て付けの悪さが目立ってきて、がっかりいたしましたが、全編にわたりギリシャ哲学とりわけアリストテレスへ遡り、哲学の始原へ執拗にそれこそ念には念を入れ、立ち返っていくのです。

熊野純彦訳『存在と時間』を読み終え、魅力の一端を、そう記しておきたいと思います。
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