河津桜にすぐるものあり、南禅寺仏像に「旬の幸 花○」
2016-03-15 Tue 10:16
河津へ行くのは数年ぶりのことです。
温泉民宿いとうのおかみさんには「河津桜は終わっていますが、よろしいですか」と念を押されましたが、復活した「旬の幸 花○」の料理が楽しみで華には興味はありません。

息子達が小中学校生の頃小さな別荘があって春休み、夏休み、正月休みとよく出かけたものですが、その頃はさして有名ではなかったこともあり、河津桜がもてはやされるようになったことを、かえって引いた気分で見ておりました。

見あきた風景なので観光に関心があるはずもなく、孤独のグルメで紹介された「ワサビ丼」でも食べようと出向きましたが、行列のありさまでそうそうに駅前の蕎麦屋にきりかえます。
ところがここも構えこそ変わっていませんが、食券機が設置され、河津桜の盛況でずいぶんと都会的になっていて、なにかがっかり気分です。
行きたいと思うほどの所もなかったのですが、三年ほど前から『河津平安の仏像展示館』が開設されていると聞き、出向いてみることにします。

「以前は獣道で急坂でしたが、階段が整備されいますよ。」

河津に通うようになったのは昭和六十年(1985年)からです。
その間、河津に平安仏教文化を伝える仏像の存在など一度も聞いたことがありません。

言い伝えによると、永享4年(1432年)室町時代の頃山津波によって河津の谷津港が壊滅したそうです。
当時は下田港も稲取港もありません。
谷津港が奈良・京都と関東を結ぶ物流の要衝であったようです。

その当時、物流中継地を背景とした財力があったのでしょう、河津には749年に行基が創立したと伝聞される那蘭陀寺(ならんだじ)という大寺があり、発掘し現存する仏像の数倍を擁していたようです。
それもこれもお堂とともに山津波によって埋没してしまいます。
それを南禅和尚が1541年に発掘し、お堂を作って安置し現在の南禅寺の由来となったようです。

しかしそのお寺も獣道ですから、永いあいだかえりみられない存在でありつづけていました。
南禅寺本尊・薬師如来座像[平安前~中期€]が旧国宝であったことや盗まれて戻ってきたなど、二十六体の仏像、破損仏の一体一体に由来があるのですが、それはおいおい河津に訪れての楽しみにしたいと思います。



「旬の幸 花○」からは毎年おせち料理も取り寄せていたので、それも復活するそうで楽しみにしています。
ここ数年は金沢のつば甚を利用していますが、なじんだ味がもどってきたのが率直にうれしい。

小箱にしつらえた箸付。大根と菜の花と海胆乗せの野菜ジェル。四ヶ月漬け込んだ豆腐バジル添え。わらび、銀杏豆腐、白身魚のおすまし。甘い油を蓄えたカンパチ・フグ・イカと肝などのお造り。焼き筍。鴨の牛蒡ソース。伊勢エビの立田揚げ。しめのジャコと山椒飯と甘味。
オーナーシェフはパワーアップして戻ってきました。

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