ONLY ONEて何だろう
2016-03-08 Tue 19:58
女の子は全員シンデレラ姫、男の子は全員王子様。
そんな学芸会があったとか、なかったとか。
都市伝説のようでもあり、ありえないとも思えない。

この場合、シンデレラに用意する靴は何足とか、
だれがシンデレラをいじめたらいいとか、
姫と王子の員数は合うかどうか、とか。

そうしたことは心配無用としておこう。

全員主役は見なれている。

ジャニーズのグループにはじまって、AKB48、EXILEできわまった。

民主的手続きを踏んで、全員主役の原則は崩さない。
「総選挙」はセンターの場所取り合戦で、みんなシンデレラ姫。
そして全員王子様。

スターはいらないよ。

「だって、僕はONLY ONEなんだから。」

で、ONLY ONEて何だろうと僕は考える。


自分はどこまで自分なのか。
これを問いつめるなど思いもよらないだろう。
AKB48の、EXILEの、AとBは、CとDはどこがどう違うのか。

AマイナスBの、CマイナスDの差分がたぶん自分だろうから、それがONLY ONEを構成する。

さてその差分、つまりマイナスして残ったのが自分であるとすれば、それ以外は「だれでもよいだれか、だれでもないだれか」である。

ハイデガーは「だれでもよいだれか、だれでもないだれか」といった意味をこめた造語[実存カテゴリー]をつくっている。
das Manである。
熊野純彦訳『存在と時間(二)』はこれを〈ひと〉と訳している。

だから〈ひと〉は、「自分」以外でありながら「自分」となっている「自分」のことである。
ハイデガーの言い分を聞いてみよう。

“日常的な*現存在の自己は〈ひとである自己〉であり、これを私たちは本来的な自己から、つまり固有につかみとられた自己から区別する。〈ひとである自己〉として、そのときどきの現存在は、〈ひと〉へと分散しており、自分をまず見いださなければならない。”
*ハイデガーは人間のことをそう呼んでいるので気にしないで読んで欲しい。

ハイデガーはおもしろい。

彼の哲学的思索は、こうした現代における諸現象すら射程に入れている。

〈ひと〉が肥大し、ONLY ONEが危うくなった時代だから、ONLY ONEといいつのる。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 事実データ&思考 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<フクシマの今 | 三保小次郎日誌 | ああ、野口悠紀雄『「超」集中法』書評>>
この記事のコメント
∧top | under∨
コメントの投稿

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
∧top | under∨
| 三保小次郎日誌 |