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翻訳者をかえることー熊野純彦訳『存在と時間』ー
2016-02-23 Tue 08:39
テキストをかえる。
この場合原典はハイデガー『存在と時間』だから、翻訳「者」をかえることだ。

たとえばドストエフスキーであれば米川訳になじんでいるから、他の翻訳本では彼の世界に入り込めない。
なれてしまっている。
彼の訳において、ドストエフスキーの世界観に入り込めた。

いまさら他の翻訳者に取り組む気はおきない。

手慣れた、手持ちの翻訳本を読返す。
そこにちょっとした工夫を加えるつもりだった。
読書方針を「一章ずつ、交互に、違う翻訳者の異なった訳を並行して読む」読書方針を立てた。

伝わってくるものが違う。

そのため理解が進むどころか、かえって混乱した。

この数年、『存在と時間』の新訳が次々と出ていた。
なじんだ翻訳に頼り切って読み進めることに疑問を感じ、次の翻訳本を手にとってみた。
・熊野純彦訳『存在と時間』
・中山 元訳『存在と時間 1 』

迷うことは多々ある。
が、異なった訳の併読は原文を読めない読者に取っては毒(害)が大きい(と感じた)。
それでも成果は少なからずあったと思う。

三冊の翻訳本の「序論〈第一節〜第八節〉」個所をそれぞれ読込み、結果序論を三たび読返すことになった。

・熊野純彦訳『存在と時間』
・細谷貞男訳『存在と時間』
・桑木 務訳『存在と時間』

一人の翻訳「者」において、読み通すことに戻す。
熊野純彦訳『存在と時間』にした。
他の訳は参照文献として、気になる箇所をじっくりあたる程度にしようと思っている。

また、序論から、しかし今度は通しで読む。

熊野純彦訳『存在と時間』
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