分かることのこの堪え難い軽さ
2016-02-01 Mon 09:34
現代においては即効理解できないものに価値をもとめない。
むしろ、理解できないものは、苛立をもたらす邪悪な存在で、こうしたものを排除する力学が働いている。

現代人は分かりやすさを求めている。
あえていえば分かりにくさを避け、忌避し、拒絶しているのである。
分かったつもりに達すれば目的を遂げるのだから、情報の加速化時代においては分かりやすさはそれだけで価値をおびる。

ハイデガーはこうした潮流から遠く隔たっている。
隔絶している。

ハイデガー『形而上学入門』を川原栄峰の翻訳で読んでいるのだが、翻訳においてなお面白い。
この上なく面白い。

糸で縫い合わせるように綴られた思索はとどまることなく、とごまでも糸をつむいでいき、切れようとするその細い糸をなお地平から容赦なくたぐり寄せ、引き絞ぼる。
これに付いていくのはバカげているか。
分かりやすさになれてしまった現代人はいつまで何とたわむれ、どこへ向かうのか。

分かることのこの堪え難い軽さのなかで、そこに留まることの反現代のあり方は、やさしく語ることとは無関係にある。

プランは半年かけ、ハイデガー『存在と時間』を理解しようという試みなんだが、遅々とし、しかしその遅延においてしか楽しみは立ち上がってこないのである。

ハイデガー『存在と時間』研究見取り図 〈2016.1.01ー6.30〉
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