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「が、ある」と「で、ある」
2016-01-21 Thu 16:34
木田 元『ハイデガー「存在と時間」の構築』の初回はいつか読書記録がない。
2000年3月6日、○2と記載してあることと、奥付でその年の1月14日第一刷発行とあるから、たぶん続けざまに二度読みしたのだろうと思う。
三回目が2003年5月29日、今回2016年1月17日が四回目となる。

相対性理論をそれなりに理解しようとか、資本論は読んでおこう、般若心経を深く知りたい、そんなたわいもない動機があって、自分のなかでは同じ平面上にある『存在と時間』に取組んでいる。

語学がからっきしで、一生涯ハイデガーに取組んだ木田 元に付いていくしかないと思い定めた。

さすがにこの本も書き込みややたらに引かれた線で読みづらくなったので、次回は買い替えようと思う。

今回は二つのことが把握できたので喜んでいる。
一つは、Temporalität〈テンポラリテート〉の理解が深まったこと。

“つまり、「時間と存在」という表題のもとにハイデガーが考えようとしているのは、〈存在の意味〉を問う存在論の中心的な問題群が「時間」のうちにーといっても、「時間のうちに」あるとかないとかというような通俗的に理解された「時間」ではなくて、現存在が「おのれを時間化する」という根源的な現象として「時間」のうちにー根をおろしているというと、そしてそれがどんなふうにかということである。”(木田 元『ハイデガー「存在と時間」の構築』P.92)

もう一つは西洋文明の根底にあって、「こうした存在概念、こうした思考様式が、それこそ千年二千年といった単位でさまざまな変様をこうむりながらも〈西洋〉という文化圏に伝統として定着し、その上にいわゆる〈近代ヨーロッパ文化〉が形成されてきた。(木田 元『ハイデガー「存在と時間」の構築』P.214)」という認識である。

“つまり、始原の単純な存在が見失われ、存在が〈本質存在〉と〈事実存在〉に区別された上、〈本質存在〉に切り詰められることになり、それとともに〈哲学〉がはじまったのだ”(木田 元『ハイデガー「存在と時間」の構築』P.221)

こなれない用語もすこしは頭の中で消化できるようになったのは収穫だった。
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