老人は無為に倦んじて
2016-01-13 Wed 13:27
早朝スポーツ新聞を買いに国立病院通りのコンビニに歩いていくと、駅へ向かい足早に、あるいは時々小走りになって時間短縮を試みる勤め人とぶつかりそうになる。
こちらは悠然と歩いている。
いかにも「悠悠自適」をただよわせ、脇に身をひいて受け流す。

ジャージにダウンジャケット、サンダルの老人に何の威厳もないだろうが、何事にも追掛けられることのない老人の矜持のようなものに囚われ、ついやってしまう。

そもそもスポーツ紙そのものが雑事の固まりである。
そこに書かれている一つとして、知ろうと知るまいと何の影響もない。
暇にあかせ、スタンドからつまみ上げたペーパーの、端から端まで舐めつくす?だろうか。

しかしまあ、「老人は無為に倦んじて」などというのは出来すぎ、言い過ぎというものだ。
そうした一瞬に自分の境遇を誇張したいのである。
無為をひけらかしたいのである。

潤沢な時間など誰にあってもあり得るはずもない。
小金もあって生活苦にわずらこともないのであろうが、それはそれで幸福とはいえない。
胸の内に沸々と無言の繰り言が泡のごとく浮き上がり、つまらぬ嫉妬が頭をもたげる。

足早に会社に向かう勤め人の強烈なベクトルが直射し、なくしたものを渇望する自分自身に、思わずたじろぐのである。
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