老いのパフォーマンスはきびしいトレードオフにさらされて
2015-06-06 Sat 10:43
人それぞれでしょうが、ぼくの場合、読書量が心身のバロメーターになります。
食欲に似て、心身が疲れてくるととたんに量が減ります。
ふだん苦にしたことがないものですから、それを苦痛に感じたときは要注意です。

高校時代が一番鮮明なのですが、読書タイムは通学の行き帰りの車中、それに授業中でした。
帰宅しても部屋の隅で文庫を広げていたように記憶しています。
一日本を読んでいる。

教科書は学校に置いたたまにしてありましたから、勉強した記憶がありません。
それより岩波文庫を片っ端から読んで、ひらくたびに世界が広がっていく体験に夢中でした。
今となっては一生ものの趣味ですから、昔も今も本に埋もれていれば満足です。

今回は風邪が長引き、読書もままならなかったものですから、病自体の診断とは別にぼくにとっとは「重篤」な問題となっています。

本を手にするのもおっくうになりましたから。

一週間ほど経過し痛風が併発し、本が読めない上に車椅子ならぬ、キャスター付きイスを駆らなければ室内を移動できない。
重ねて、四肢のどこかに支障が起こると、直ちに車椅子的生活が待ち受けていることを思い知った訳です。
その不自由さに愕然としました。

トイレは無様でした。

今回の出来事は、みごとに未来を語っています。
そう遠くない、近未来の自分の姿を映し出しています。

体力が削がれると気力も失われるという厳粛な事実。
読書に現れたのはそうした実態でした。
加齢、老いに加え病いが待ち受けています。

両面から、生活の様々な場面でパフォーマンスは低下するでしょう。

一つをムリに補おうとすると、他のパフォーマンスが落ちます。
読書量を増やすと、たとえば運動量を減らさないとやりくりできない。
若い頃には思いも寄らなかった、トレードオフの関係が浮かび上がってきます。

現に痛風の発症は「飲み過ぎ」にもありますが、旅行で毎日二万歩近く歩きつづけたことも良くなかったようです。

ひたすら読込んでいく、そうした読書のスタイルは変えていかざるを得ないでしょうね。
好きなことですからやりたいことの一つとして相対化していくのは好みません。
読書のスタイルをかえる、工夫してみることにします。

・毎月一冊あるいは四半期に一冊の本をえらび、それを軸とした面読書をたのしむ
・昔読んだ本を読みかえし、再び深く味わう

「車椅子的生活」を余儀なくされた時の生活のあり方もおぼろげながら浮かんできます。
いまの生活を100%と置いて、引き算した生活ではいけないと直感しました。
むしろ車椅子で台所に「立」ち、朝食やランチを調理する。

自分のやれることを拡張する。
いままで他が手一杯で余り手のつけなかったことを、今度は積極的にやる。
意識をひっくり返す。

できるだけ「車椅子的生活」の未来を遠くに押しやるにはどうしたらいいか。
そう現状肯定的に考える。
けれどそうなったらそうなったらで、自分の拡張を探ればいいと。
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