ゲーム、ゲノムそしてディストロイ
2015-05-14 Thu 10:25

「こういう乱暴なやつと付き合うにはどうしたらいいか?」
「お友達になることさ。」
「パシリになるわけだ!」
「君には尊厳をもってもらいたいね。敵には決して回らない。しかし一緒になって弱いものいじめはしないことさ。」

『エンダーのゲーム(2013)ENDER'S GAME』には二つの大きなメッセージが隠されている。



一つは、IT化された兵器による戦争はさながらゲームであること。

ハイラム・グラッフ大佐(ハリソン・フォード)は昆虫型異星人バガーの太陽系への三度目の侵略に備えるため、地球の衛星軌道上にバトル・スクールを立ち上げる。
次第に天才的な能力を発揮するようになる運命の子アンドルー・エンダー・ウィッギン(エイサ・バターフィールド)を英才教育する。
最終テスト(シュミレーション)に挑んだエンダーのチームは、それが実戦であることを知らないまま、昆虫型異星人バガーの惑星を殲滅する。

ゲームと戦争に何の違いがあるだろう?



グラッフ大佐はゲームの根本意図を吐き出す。
「彼らの存在が脅威だ。」
これがアメリカン・ゲームを理解する第二のキーワードとなる。

1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48kmで行なわれた人類最初の核実験。
それから21日後。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市への原子爆弾投下。

即座に、最強にして最悪の暴力をちゅうちょなく行使する。
“Immediately”という表現は正しくないだろう。
それはアメリカという帝国に“a priori”に組み込まれたゲノム。



ところでこの映画の奥行きを削いでしまっているのは何んだろう。
平板でつまらない映画だった。
「地球」=アメリカが殲滅され、ゲーム・オーバーをむかえることは決してない。

自信の根拠は何だろう。

自国が戦場となったことのない国。
いつも他国で戦い、他国民の命を的に戦争する国。
自国が戦場にさらされない限り彼らのゲーム感覚は矯正されないだろう。

現実世界はどうか。
アメリカは強豪プレイヤーだが、一プレイヤーにすぎない。
Россия、中华人民共和国はグラッフ大佐の準備した同等の最終兵器をもつ国である。

ゲームだ。
どちらが殲滅されるか。
ゲームはしてみなければわからない。
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