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井戸のような部屋
2015-05-02 Sat 13:56
夜中に目を覚し、暗闇のその先には何か魔物が棲んでいるようでおびえたものだ。

今でも暗闇はきらいだ。

孤独を好むには幼すぎてはいたが、たぶん小学生高学年の頃だろう。
それは襖一枚閉じた暗闇だった。
まぶしい昼間が確かに襖の外にはあるのだから、いつでも暗闇が消せた。

安直な安心感が気持ちをふくらませたのだろう、果てのない暗闇にひたって、空間を飛び回る空想に遊んだ。

襖で閉ざされた一畳の領地はなぜか広大であった。
闇にひたっていなければその感覚は現れない。
別世界の感覚はそんなところから生まれたのかもしれない。

今でも落ちつくのは狭い一角だ。
ファミレスの真ん中の宙ぶらりんな感覚は落ちつかず、角奥に席をとる。
車中でも吹きだまりになる角がいい。

一番はトイレだ。

今ではとても足腰の緊張に耐えられないが、孤独には和便所がいい。
しゃがむから間尺に合うのである。
天井を見上げ、足元のほの暗い影を追い、もっとも生理的な時間が空想に駆り立てる。

連休の一日暇を持て余し、二畳の待庵(たいあん)写真集を見ながら、そんなことを考えていた。
冷凍侘枯(ひえ・しみ・わび・からび)の茶の湯、茶室を考えていたのではない。
ひとり沈思黙考する空間を夢想していた。

一畳押入の天井を突き破り、二階をぶち抜き、屋根にうがたれた天窓を望むような、井戸部屋を空想した。

そこに布団を敷き、終日さすかささないかおぼろな光の移ろいのなか、まどろむのである。
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