何か人ごとのようなフクシマの春
2015-05-01 Fri 14:13
木香薔薇は刺がない。
虫がつかない。
扱いやすい。

春をやり過ごせば、華やかな花弁はやがて朽ちていく。
けれど明快な自然の原理に従うだけで、どこに暗鬱なイメージがあるだろう。
摂理は完ぺきで美しい。

木香薔薇を離れよう。
世界にはやっかいなことがあふれている。
いかがわしさに満ちている。

この春、フクシマが「何か人ごとのように」記憶からいっそう抜け落ちていく季節をむかえた。

発見した公式E = mc2は美しい。
しかし原発は余りにも人間的で、利権と欲望と汚濁にまみれている。
フクシマは原発事故の刺で傷つき、おかされ、放置された荒野が広がっている。

「科学的ではない。」という声に沈黙した時、ぼくらが失っている何かについて思いをめぐらす。
ぼくらが造り出したものに支配される世界の奇態な姿に寒気を覚えて。

「何か人ごとのように」フクシマを忘却し、ぬくぬくとした温暖な陽光に溶かされて、「何か人ごとのように」過ぎ去っていく春の日々。
原子力に希望を見出した小出裕章青年は反原発に転じ伝道者となった。
原発という技術はエネルギー問題から人類を解放したのではない。

原発が製造する自然界には存在しない核分裂生成物は蓄積され、やがて人類を数万年先まで縛り付ける。

ぼくは彼の知見に何度も何度も耳を傾ける。

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