神隠しにあった人生
2015-04-15 Wed 10:39
神隠しが増えてきた。

消えてしまうのは人ではなく物だが、何か隠そうというやましい気が働きしまい込むといけない。
後々必要になって探すのだが、見つけるのに一苦労する。
最悪は見つからない。

やましい気持ちが働いているのだから、完ぺき自己責任だ。

本は誰も関心がないから堂々と本棚に入れてある。

絵画は一作秘匿している。
堺幹夫の作品だ。
売った画商も家族兄弟から展示しないようにいわれた曰く付きだから、秘匿場所も限られるからなくなることはないだろう。

へそくりなんかは本人も隠したことを忘れ、本をめくっていたら万札が出てきたことがある。
得したのか損したのか分からないまま、浪費した。

携帯、財布、デジカメは必需品だが、これらは前日着ていたものをさぐるとほとんど出てくる。

ネット銀行、ネット証券、ネット通販その他もろもろのパソワード管理には苦労している。
**と共通の数字を活用し、バラバラのパスワードをつくってExcelに一覧にしてある。
メモですませると後々面倒なことになる。

そうメモがくせ者だ。

手帳に書けばいいが、たいていは手近にある新聞のやチラシの余白に書き込む。
ちぎってポケットに入れれば救われるが、そのまま放置する。
内容もさることながら、書いたこと自体を忘れる。

致命的だ。

ほとんどはたいしたことは書いていないだろうとあきらめよう。

本は本文の余白に直接書き込みするから、間違いは起こらない。
問題はアイディアだ。
これぐらい大事でありながら、無精に扱うものはない。

メモ一枚あればどれだけ遠くまで行けたかと思う。
思い込みは増え思いつきは減る。
少なくなったアイディアを滋養しなければ老いの進歩は望めない。

メモにこうある。
「信楽焼うづくまる
冬寒椿
夏あざみ」

これは青木瑞穂の受け売りだ。
少しずつ蒐集した掛花入を使ってみようと思うが、踏み出せない。
季節がきたらやろうとメモしたが、メモが出てきたのは春。

さて、ぼくはどんなメモをなくしたか。
動機はなんで、どこへ。
いずこに行ったか分からないまま、メモしたこと自体を忘れてしまう。

だから何ごとか大事を人生のどこかに置き忘れた気はするのだけれど、大過なく、そして大事もなかった。
そんなことを思うことなく時は流れていくだろう。
たとえばそれは未来の自分が変わる何かであった気もするのであるが、なくした人生と思うほど大事とは思ってもいない。

だからくり返しメモを無くす。

神隠しにあった人生はけっしてもどらない。


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(2004/04/09)
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