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大塚家具会長列伝
2015-03-29 Sun 16:13
六十七ともなれば、そんなに時間は残っていないし、先は見えている。
そう自覚し、そう認識もされていることだろう。

一人暮らしが身についていないと気づいても、自分が取り残される実感はない。
それはもう落ち度ともいうべき人生戦略の欠陥だとは認めるが、生きて来た時代相からそんなにズレている訳ではなかった。
孤独はさけられない。

家庭的孤独もあるし、仕事から遠ざかるに従い、人は去り、充実した日々も色あせる。

多少に違いはあっても、成功のあじを実感した時代が背景に広がっていた。
運がよい世代だった。

それにしても子供たちの時代は運が悪い。
成功を知らない。

多くがそれを享受した時代と、栄光と成功から隔絶した時代。

なのにと思う。

子供が成長し喜んでいいはずなのに、取り残されたような気分がどこからかただよってくる。
やるべきこと、やりたいことの不足してくる老年には、自立した我が子がただただまぶしく、目もくらみ気持ちもゆれる。
それは暗愚とは違う。

四歳かそこらしか違わない彼が「あと二十年はやれます」と述べていた。
それをこっけいだと思いながら、笑えない。

人生の成功者とくくってしまうと味も素っ気もないが、上場会社の会長であれば、いくつも違わないこの男に称号を与えて過不足あるはずもない。
自分も多少とも何ごとか成し遂げて来た気はするが、彼のような「勲章」はどこを見回しても出てこない。
それは悔恨ではなく、しいていえば落胆のように後退的感情で、ただやっかみかもしれない。

妄想がなければ生きていけない歳になったのだろう。
次世という実行性のない宿題をかかえ、はてしなく妄想に生きる。
老年にはそういう一面がある。

過ぎ去った成功体験が彼にはまだ残っていて、すがっていける。
決着のついた人生であれば、達観へとゆっくり後退していけただろうに、かれはもとの道へ引き返そうとしてもがいている。

他人のことだ、土足で上がり込んであれこれ言えるのであるが、あれもこれもとひっくり返し、結局自分の問題だと思いなおすのである。
「どうやって生きるか」
その裏側には「どうやって死んでいくか」の文字がはり付いている。
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