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“the Imperfect”、岡倉天心『茶の本』
2015-03-03 Tue 14:33
「日記は毎日つけてます」
「ブログかいてますよね?」
「???」

「日記もつけるのですか」という言葉を彼はのみこんだようです。

彼にはたぶんブログ=日記という観念があるのでしょう。
ブログを書くなら日記は余計ではないか、そんなニュアンスです。
そこに何か共有するものがあれば私的な事も書きますが、日記を人様に公開する趣味はありません。

まったく別物です。

さて何度になるか、岡倉天心『茶の本』を読返しました。
読書はごくごく個人的な事です。
この本の中でいちばん魅かれた言葉が“the Imperfect”です、という事も個人的な思いですが、『茶の本』の要諦に迫る最重要概念だと考えています。

“the Imperfect〈不完全〉”に関わる五つの段落を取りあげました。
これがモナドロジーだと断言する根拠をあげるにはあまりに浅学ですが、琴線に触れた段落です。
ブログは自分流のテキストあるいはノートですから、書留めた後でなんども読返すのにとても重宝します。
便利なノートです。

以下、英文(原文)、村岡博訳、桶谷秀昭訳の順に掲載してありますので、ご正味ください。


It is essentially a worship of the Imperfect, as it is a tender attempt to accomplish something possible in this impossible thing we know as life.

・茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
・それは本質的に不完全なものの崇拝であり、われわれが知っている人生というこの不可能なもののなかに、何か可能なものをなし遂げようとする繊細な企てである。

The afternoon glow is brightening the bamboos, the fountains are bubbling with delight, the soughing of the pines is heard in our kettle. Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

・まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟しょうらいはわが茶釜ちゃがまに聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
・その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないひとを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。

It is an Abode of the Unsymmetrical inasmuch as it is consecrated to the worship of the Imperfect, purposely leaving some thing unfinished for the play of the imagination to complete. The ideals of Teaism have since the sixteenth century influenced our architecture to such degree that the ordinary Japanese interior of the present day, on account of the extreme simplicity and chasteness of its scheme of decoration, appears to foreigners almost barren.

・それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である。茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部はその装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。
・ひたすら不完全を崇拝し、故意に何かを未完のままにしておいて、想像力のはたらきにゆだねて完全なものにしようとするが故に「数寄屋」である。茶道の理想が十六世紀以来わが国の建築に及ぼした影響はたいへん深く、今日のふつうの日本家屋の内部は、その極端に簡素で清潔な装飾法のせいで、外国人の眼には殺風景にひとしくみえるほどである。

The Taoist and Zen conception of perfection, however, was different. The dynamic nature of their philosophy laid more stress upon the process through which perfection was sought than upon perfection itself. True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete. The virility of life and art lay in its possibilities for growth. In the tea-room it is left for each guest in imagination to complete the total effect in relation to himself.

・しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。
・しかしながら、道教と禅の完全という概念はそれとは違っていた。それらの哲学の弾力性は、完全そのものよりも完全を求める過程に重きを置いた。真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる。人生と芸術の力強さは、伸びようとする可能性の中にある。茶室では、全体の効果を自分とのかかわりの中で完全なものとすることが、客めいめいの想像力にゆだねられている。

In religion the Future is behind us. In art the present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the high standard of refinement which obtained in the tea-room.

・宗教においては未来がわれらの背後にある。芸術においては現在が永遠である。茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い軌範によって彼らの日常生活を律しようと努めた。
・宗教では「未来」はわれわれのうしろにある。芸術において「現在」は永遠である。茶人たちの考えでは、真の芸術鑑賞は、芸術から生きた感化を生みだす者のみ可能である。それゆえ、彼らは、茶室でおこなわれている高度の風雅によって、その日常生活を律しようと努めた。


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岡倉 覚三

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