原発廃止をあいまいにする底なしの非人間性について
2015-02-23 Mon 14:05
日本国においては、期限を付け、あいまいさのない原発全廃を主張する者はかわらず絶対的少数者である。
東日本壊滅の危機にもっとも近づいた時期においてすら10%前後を超えることが難しかった。
「原発を減らしていく」とか「いずれ全廃に近づけていく」とか、質問の表現を穏当にしていけば、「良心的」原発反対者は増加する。

しかし国民は「原発即時廃止」をとなえた小泉・細川氏を変人、老人の冷や水としてとしてあざ笑い葬った。
国民の意識(常識)からすれば、原発全廃まして即時廃止は非常識なのだ。
卑近にいえば、たまに起こる事故と引き換えに、原発がもたらす利益利便を手離しはしない。

しかしヨーロッパは違った。

ドイツ連邦議会は早くも2011年6月末には、8つの旧型原発を年内に廃止し、残る9つの原発を2022年までにすべて廃止する決定を513対79の圧倒的な決議によって下した。
電力使用量の約39%を原発が担っているスイスにおいても、同年同月国内に5基ある原子力発電所を寿命を迎える2034年までに廃炉とし、新規建設はしないとの国家目標を決めた。
イタリアは6 月 12 日と 13 日の 2 日間にわたって実施され国民投票によって、94.05%という圧倒的多数で政府の原発再開の計画を否決した。

オーストリアはフクシマ以前に憲法で原発を禁じている。

ヨーロッパの西、大西洋の彼方に広がる世界最大の核保有国であるアメリカ合衆国においては、1974年以降一基の原子炉も造られていない。

なぜヨーロッパと日本はかくも違うか。

1755年、マグニチュード9の震災から四十分後、大西洋から巨大な津波がリスボンを襲った。
高さ15mの津波が市街地を飲みこむ。
地震とツナミによって「当時リスボンは27万5000人の人口を数えたが、最大で9万人が死亡した」と伝えられている。

リスボン大震災の衝撃は瞬く間にヨーロッパ全土に伝わった。

震災はヨーロッパの人々を震撼させ、ヨーロッパ全般に劇的な変化を引き起こす。
信仰、哲学(カント、ルソー、ヴォルテール)、社会規範全般にわたる影響が見られた。
ヨーロッパは東日本大震災以前に、地震に震かんし、TSUNAMIを体験しているのである。

では、ヨーロッパと日本ではどこが違ったのか。

日本においては、ツナミに対する防潮堤が「対策」として打ち出され、同時にそれは原発が身に着ける「鎧(よろい)」とされた。

ヨーロッパは地震・ツナミに関連の薄い地域においてもその如何を問うことなく廃止を決めた。
次のそれが飛行機事故かテロか操作ミスか送電線事故かいん石か、誰にも分からない。
ヨーロッパは原発を全廃する決断で自国と国民を守ることを優先した。

そもそも3.11の地震・ツナミとフクシマ原発事故は別々の災害である。
ヨーロッパは、前者がなければ後者がなかった、と即自的につなげてしまう過ちを注意深くさけている。
前者と後者は別個の事件である。

次の「天誅(てんちゅう)」が地震・ツナミと誰が分かるだろう。
地域を、あるいは東日本を、あるいは日本国を壊滅させる。
それは地震ツナミではない、まさに原発事故である。

日本はフクシマ原発事故を自然災害の中に埋め込んだ。
すり替えた。
露骨にいえば、次もツナミによって原発がやられると決めつけた愚かな行為で満足した。

私を含め大なり小なり原発によって得る利益をすてられない。
自分の生きる時代、世代の利得利便を優先し、10万年にわたって子孫に処理方法のない放射能物質をおしつける。
倫理を失った、底なしの非人間性に気づきもしない。
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