どんと疲れが落ちてきた
2015-02-13 Fri 14:39
字を追うのがおっくうだと気がつき自分が疲労していることを知る。

読み切りのエッセイとかごくごく短いほんとうに短編とかをのぞき込んで精一杯の状態にある。

腰痛がおさまってそろそろと動き出していたが、やりだすと目一杯やってしまう。
急発進すると車体が折れてしまうような気分があったから、痛みが治まって深入りしたのかもしれない。
じぶんではわずかに重ねた程度のトレーニングのはずが体の芯までとどいた。

筋肉痛は気にならないが、つきまとう疲労感からは逃れようがない。

やりたい気持ちもやる気もあるのに体によって引きずり下ろされる。
句読点で切るのがおっくうで数珠つなぎになった文字から発してくるけだるい気分を記録しておこうと思って書いているが添削はたぶんやりたくないだろう。
だらだらとした文体は体の疲労に実に適合していて分かりやすくしようとわざわざ剪定する気にもならない。

精神的なつかれとは違っているがどんと疲れが落ちてくると見分けがつかない。
昨日は九十五になる伯母の行く末を決めるのに弁護士ケアマネ親戚と交わってそうした疲れもあるのかもしれないが、他に誰がやれるわけでもないことを引き受けたのは少しも苦にはなっていない。
どちらもいっしょと思える作用があってそれはなにか引きずり下ろされるような降下をともなっている。

僕がいささか気持ちに引っかかっているのは昨夜は熟睡し七時間以上も寝たのに疲れがこびりついていることだ。

老いというものがこういう形で現れる出ているのだろうか。

見極めたい気はするが書くのはもうイヤになった。
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