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結論ありき?語るに落ちた小黒一正論文『反動減、過去と大差なく』
2014-09-15 Mon 14:53
素人がプロフェッショナルにあらがうのだから、無謀、無理は承知している。
とりあげたのは今日の日経新聞「経済教室」に掲載された小黒一正法政大学准教授の論文『反動減、過去と大差なく 』である。
全文は下段に掲載したので、参照して欲しい。

問題の箇所を長文だが引用する。

“成長率の落ち込みが1989年の消費税導入時(0→3%)の1.3%減や97年増税時(3→5%)の0.9%減よりも大きくみえることから、市場の一部で景気の先行きに対する不安の声も出ている。しかし、このような見方には若干留意が必要である。
 なぜなら消費増税による反動減の大きさは、トレンド成長率(長期的に達成可能な実質GDPの伸び率)の水準も考慮して評価する必要があり、その観点からは今回の反動減は過度に大きいとはいえないからである。
 経済への一時的な負のショックでマイナス成長となった場合、その本当の大きさは、トレンド成長率からの落差も含めて測る必要がある。つまり増税後の反動減の大きさは実際の成長率からトレンド成長率を差し引く(マイナス幅の拡大)ことで求められる。
 トレンド成長率が1.2%の高成長ケースと0.5%の低成長ケースを考えてみよう。増税の影響で実質成長率が一時的に同じマイナス2%に陥っても、前者の反動減は3.2%、後者は2.5%と評価するのが妥当である。
 実際はどうか。80年代の実質成長率(年平均変化率)は4.3%、90年代は1.5%、00年代は1.4%(リーマン・ショックの影響を除くため00〜08年の平均。09年も含めると0.7%)であった。四半期の前期比で表現すると、80年代は約1.1%、90年代は約0.38%、00年代は約0.35%となる。そこで、これらをトレンド成長率と仮定し、それぞれの「実質成長率」マイナス「トレンド成長率」の値を試算した(図参照)。
 ここから、消費増税に伴う4〜6月期の反動減の大きさは89年(2.4%減)、14年(2.15%減)、97年(1.3%減)の順番であることがわかる。今回の反動減は97年よりも大きいが、89年よりも若干小さいと評価できる。”

1.2%が高成長ケースで0.5%は低成長ケースとする取りあげ方がまずもって主観的比較であることに気づくだろう。
何がこの少壮の学者を駆り立てたかは分からないが、結論「増税をさらに先送りして将来に禍根を残すことは避けるべきである。」をみちびくには論拠が薄弱である。
くりかえすが、高成長ケース・低成長ケースが主観的比較に陥っているからだ。

かりに筆者の言うように1.2%を高成長ケースとしよう。

日本政府は国際公約(2010年カナダ・トロント・G20首脳会議)として、2015年度に国内総生産(GDP)に対するプライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字額の割合を2010年度比で半減し、さらに2020年度に黒字化する目標を掲げている。
しかし昨年8月、内閣府は第18回経済財政諮問会議で「中長期の経済財政に関する試算」を公開し、その達成がほぼ不可能であることを明確にした。
これによると、2013年〜2022年度の平均実質GDP成長率2.1%の経済再生ケースでも、2020年のプライマリーバランス達成に12.4兆円不足し、さらに平均実質GDP成長率1.3%の参考ケースでは、17.5兆円不足するとのことを明らかにしている。

「1.2%が高成長ケース」は「平均実質GDP成長率1.3%の参考ケース」すら下回る。
試算を借りれば、プライマリーバランス達成に17.5兆円以上不足する。
すると、筆者がなぜ1.2%を「高成長ケース」とし、0.5%を「低成長ケース」としたか、いよいよ不明確、不明瞭になるばかりだ。

論拠として適切ではないのである。

1.2%を高成長ケースとしなければならない、この国の実態にこそ目を向けなければならない。

むしろ問題とすべきは、トレンド成長率が長期低落を示し、返済に向ける貯蓄が枯渇するこの国の衰退の現実であると考える。
「トレンド成長率(長期的に達成可能な実質GDPの伸び率)の水準」の低下に歯止めがかからないのに、結論「増税をさらに先送りして将来に禍根を残すことは避けるべきである。」を導いても問題のすり替えにおちいるのである。
何が問題か、そのことをまずもって明らかにするのが学者の使命ではないのか。

統計数字は曲げられないから、主観的比較論法を用いるしかなかったのだろうが、残念だ。
しかし主観的比較によって、むしろこの国の危機的状況が浮かびあがったといえなくもない。
政府と異なった見解を公表することがうとまれるような時代相のなか、学者は論理をもって砦となって欲しい。

素人に語るに落ちたとやゆされぬよう、説得力のある論理を組み立てて欲しい。

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