『希望の国』の届かぬメタファー
2014-06-06 Fri 09:35
遅ればせながら、園 子温監督作品『希望の国』を観た。



正直、生硬(せいこう)という使いなれない文字があっている。
生で、硬い青い実のようで消化しない映像だった。

立ち入り禁止区域に打ち込まれる杭。
見えない放射能を可視化する防護服。
生きている木が悲鳴も上げずめらめらと燃え上がる。

しかしいずれも心に届くメタファーにはなりえていない。

放射能に満ちながら、しかも日常と変わったところのない空間時間。
そこに無理矢理役者の演技をぶつけているようで残念な作品だったが、燃えさかる生木のシーンが次の一節を呼び覚ましてくれた。

「神とは決してこの実在の外に超越せる者ではない、実在の根柢が直《ただち》に神である、主観客観の区別を没し、精神と自然とを合一した者が神である。」
(西田幾多郎『善の研究』第2編 実在第十章「実在としての神」から)
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