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2014-05-24 Sat 13:55
初めて地下鉄に乗ったのがいつか記憶していませんが、モグラになったような気分はどこか感覚に残っています。
穴蔵のようなところだったこともあって高揚感はなかったように思います。 それに年ごとに地下鉄路線図が複雑に入り組んでいくものですから、苦手な乗り物になっています。 トンネル・イメージが強烈で、いつまでたってもモグラ感覚から抜け出ません。 なんというか、文明の利器という感じがしないのです。 地下三、四十メートルの深さを横に掘り進む。 地球半径6,356km(極半径)の約16万の1です。 人類が物理的に左右できているのはこの程度なんだという実感が先立ち、先頭車両からのぞき込む闇は果てしない暗黒を思わせるのでした。 地球の皮のように薄ぺらな膜の上に文明が築かれています。 16万の1文明です。 他滅という言葉はありませんが、地球時間軸において、生物種や文明(歴史)を滅ぼすことはくり返されてきたのでしょう。 3.11はそうした他滅の一つでした。 地球の皮が少し突っ張った、そんな事象なのです。 他滅は受け入れるだけですが、自滅はそうはいかない。 3.11から数日後、福島原発事故が深刻さを増す中、「顔の見えない無名の作業員が50人残っている」とする記事が米紙ニューヨーク・タイムズ電子版で伝えられました。 日本中が固唾をのんでその推移を見守っている時期のことで熱いものを感じましたが、 それはまったくの誤報であることが明らかになっています。 “地震発生後には800人いたが、15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。監視などのために残った50人が、フクシマ50になった。[「英雄フクシマ50」欧米メディア、原発の作業員ら称賛]” 朝日新聞が福島第一原発の吉田昌郎元所長(故人)を聴取した「聴取結果書」(吉田調書)の存在を明らかにしました。 “外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。” フクシマ50とは、取り残されたフィフティーでした。 福島原発事故は自滅(人災)です。 自滅を他滅にすり替えてはならないのです。
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