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令和、万歳万歳万々歳
2019-04-30 Tue 09:47
 時の権力者が主導した元号「令和」は、はからずも零落の時代を予言している。注(1)

 卩(せつ)、人がひざまずいている。
 令(れい)、多くの人がひざまづいてお上のおおせに聞き入っている。
 零(れい)、冷たい雨がひざまづいている多くの人々に落ちてくる。

 日本国語大辞典で令をひく。真っ先に出てくる意味はこうである。
 「おおせ。命令。ふれ。布告。また、法令・条例。」

 「令」、多くの人々をひざまづかせる権力者には高尚に響いたのかも知れない。
 
 律令制で使われる「令」は、「リョウ」と呉音で音読みされる。
 これを漢音で「レイ」と読む。
 するとなにか良さげに響いたのだろう。
 
 権力者がどう考えていたかはわからないが、国民の多くは意味を忘却、意識から却下し、音の響きを受容した。
 
 原典とされる万葉集の和歌はすべて漢字だ。国書か漢籍か、論争があるそうだが、漢学の素養のない者が読めるものではない。
 
 中国文化と日本文化をすっぱり切断したいと願うグループがいるのは知っているが、切り分けしようがない。
 
 「国書」に飛びついた国民の何人が漢学を学ぼうとするだろう。
 切断と連続の狭間にあるのが万葉集なら、漢学者に解釈してもらわなければ理解すらおぼつかない古典である。
 それは中国古典の文化的連続線の延長に輝いている。
 
 かって戦前-戦後という時間軸があった。
 昭和を貫いていた、意識軸である。
 意識のなかに確かに存在した座標軸であった。

 平成の座標軸はなんであったか、思い起こすこともできない。
 
 座標軸の失われた時代であったと思う。
 バブル経済の崩壊で始まった平成は変革を遂げられないまま、座標軸そのものが浮遊した時代であった。
 何も変えられない、変わらない平成は令和の零落を準備したような時代であった。
 
 いまさら、「令」で「和」を保つとはいかなる了見だろう。
 
 時の権力者の押し付けを国民がこぞって受け入れる時代は何か空恐ろしい。
 令和の空にこだまする。
 「令和、万歳万歳万々歳」
 

(1)朝日新聞4月30日一面、二面参照。「元号案 首相指示で追加」「新元号 濃い政治色」
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