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初学者にやさしい戸栗美術館には学びのツールが一杯
2017-05-05 Fri 10:44
 同じ陶磁であるのですが、前日は見ることのできなった所が今日は見えています。
 (見えてきたように思えます。)
 連休の三日、四日とつづけて『開館30周年記念特別展 柿右衛門展』を訪れたのは、初学者にはいい勉強になりました。

 展示の深い意図は分かりませんが、二つの作品をくらべて観ることができます。
「開館30周年記念特別展 柿右衛門展 出展品リスト」から、双璧された製品を取りあげます。

74 色絵 甕割人物文 八角皿 
75 色絵 甕割人物文 八角皿 

 前者が伊万里(柿右衛門様式) 江戸時代・17世紀後半、後者がドイツ・マイセン窯・18世紀前半の製品でマイセン窯が前者(柿右衛門様式)を写したものです。

 会場で配布されている「展示解説シート 解説分類:古伊万里色絵」はA4の裏表に解説が付されたものですが、ポイントが簡略に示され、初学者の展示物を観る目もいっそう深まるよう工夫されています。
 ひとつひとつ読み解きながら、二つの製品を見比べてみようと鑑賞の焦点をしぼった二日目の課題です。

「初代柿右衛門が赤絵の焼成に成功し、1647(正保4)年には、製品を長崎で売ったといいます。」
「オランダ東インド会社による海外輸出事業は1659年以降に本格化し、これに伴って西洋の需要に合わせた絵付け、器形の製品が生産されてきます。」

 前者がヨーロッパに輸出される背景はこうです。
 明朝から清朝への王朝交代期の内乱、その後中国を治めることになった清朝による貿易制限のため、17世紀には中国製品の輸出がストップし、東インド会社はその代用品として肥前磁器を輸入するようになります。
 初期伊万里は景徳鎮の古染付を写し(手本に)、新生染付磁器を製造の中心におくようになります。
 矢部良明『日本陶磁の一万二千年』(平凡社・1994/01)は次のように記しています。

“開窯当初から世界最大の窯場、景徳鎮窯を手本として製品をつくる。ちなみにオランダ東印度会社の実務記録をハーグ市の国立公文書館に尋ねると、寛永十四年(一六三七)には中国商船だけで一年間に七五万個もの中国陶磁を日本へ運び込んでいることを記録している。(中略)伊万里焼の成長期はまた中国陶磁の大量輸入期であり、日本の需要はその両者を併呑してしまっていたようだ。”

 さらに俯瞰を拡大してみましょう。
 当時造船技術で世界をリードしていたのはオランダ人でした。
 カール・シュミット『陸と海と 世界史的一考察』(慈学社出版・2006/11)は次のように述べています。

“それは横帆のあるボートで、古い帆船のようにただ追い風を受けて走るという単純なものでなく、風を横から受けて帆走し、従来の帆とはまったくちがったやり方で風を利用することのできるものであった。(中略)「中世の航海術は壊滅的に崩壊する」と舟型発展史の研究家ベルトハルト・ハーケドルンはこの事件について述べている。これは陸と海の関係の歴史における真の転回点である。”

 グローバル化の始まりです。
 17世紀初頭、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は世界初の株式会社といわれるオランダ東インド会社を設立し、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島出島のもと、1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われます。
 背景を知ることで、初学者の気持は空想へと導かれます。

 さて、「展示解説シート」にはつづいてこう記されています。
「中でも中国・明時代の北京赤絵を手本とする「地紋つぶし」や「窓絵」の構図から、柿右衛門様式への芽生えが窺えます。」
 同館の学芸の小部屋「2015年3月号 司馬光甕割図」に前者の画題について記されています。

“主題となるのは中国の故事「司馬光甕割」の図。北宋の政治家・司馬光の幼い頃の次のようなエピソードが元となっています。「司馬光が幼い頃、友人と遊んでいたら、その内の1人が誤って大きな水甕に落ちてしまった。その場にいた多くの子供たちが事態に驚いて走り逃げてしまう中で、司馬光は石を投げて甕を割った。水が流れ出て、甕に落ちた子供は命を救われた。」大切な甕よりも友人を慮り、咄嗟の判断で命を救った幼き司馬光の冷静さをあらわすと共に、いつの世も変わらぬ命の大切さを伝えてくれる逸話として広く知られ、江戸時代においても、陶磁器、絵画はもちろん、日光東照宮・陽明門に施された彫刻や小袖の雛形本などに画題として採用されたことが確認されています。”

 また、後者の由来については同館の学芸の小部屋「2017年4月号 第1回:マイセンにみる柿右衛門様式」の解説からたどることができます。
“少し遅れて東洋陶磁器の魅力の虜になったザクゼン候アウグスト強王(1670〜1733)は、蒐集当時既に生産が下火になり、入手が困難となっていた柿右衛門様式の伊万里焼をとくに愛好しました。彼は錬金術師であるベドガー(1682〜1719)に命じて磁器の製造技術を研究させ、1709年、ベドガーは白磁磁器の焼成に成功したとの報告書を提出します。これを受けて1710年にはマイセンのアルブレヒッツブルク城に磁器工場を設け、西欧初の白磁磁器の生産がはじまるのです。その後、1720年 にウィーンからマイセンへ招聘された絵付師ヘロルト(1696〜1775)によって色絵の技術が確立され、中国の五彩磁器や古伊万里の模倣品が多量に製作できるようになりました。”

 この二つを比較して次のように述べています。
 一部分の引用です。
 (詳細はネットで見ることができます。)
“また、作品の印象を決定づける大きな要素として、人物の顔の表現が挙げられます。伊万里焼のものは石を投げる人物や甕に落ちた子供を助けようとする人物の表情に感情が見て取れ、子供は眉をハの字にして、助けられたことに対する安堵の表情が窺えます。対して、マイセンに描かれた人物は表情が読みとれず、甕に落ちた子供もかろうじて表情をつくってはいるものの、決まった感情を表しているようには見えません。このことから、伊万里焼の「色絵 甕割人物文 八角皿」にみえる人物の感情がマイセンには見られず、単純に引目鉤鼻の東洋的な顔を表現しているようにみえます。 ”

 戸栗美術館は初学者にやさしい美術館です。
 ただ展示するだけの美術館・博物館が横行する中、初学者であっても少しでも深く鑑賞できるよう、配慮のいきとどいた美術館です。

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