車椅子の教師
2017-04-08 Sat 10:52
 日曜、菩提寺で母の一周忌法要がありますから、供仏、献花、遺影や位牌などせわしく準備をすすめています。
 その夜、近所の八十八歳のお父様のお通夜へまいります。
 一昨日、伯父の告別式に熊谷へ行ったばかりですので、こうしたことは続くようです。
 
 伯父は八十二歳、母の享年は九十一歳でした。

 僕が感じたのは、避けることのできない生老病死(しょうろうびょうし)に考えをめぐらすことではありませんでした。
 そうしたことはじっくり取り組むしかありません。

 六年後には後期高齢者に達するわけですが、その季節をどう生きるか。
 そんな事に思いは広がってまいります。

 十五は十五、二十歳は二十歳、三十は三十とそれぞれに初めての経験が待ち受けているのですから、後期高齢もまた初体験、知りうることは知っておきたいものだと思います。

 アグレッシブな生活は期待できないでしょうが、時間は若い季節とちがい自由に使えそうです。
 自転車、自動車を捨て、歩くことに専念するようになり、むしろスピードのなかで飛ばしてしまった、ささやかな経験のなかで豊かな思いに満たされることが多くなりました。

 街歩きは今一番の楽しみです。

 なにか特別な施設やモニュメントをめざすのではなく、ありきたりの町並みに分け入って、何事か発見するのが楽しくなりました。
 
 もっぱら電車とバスで、ついたとこからは徒歩で散策いたします。

 生産的な時間ではありません。
 モノで満たされる幸福感とも違います。
 眼にも止まらない早さのなかですっ飛ばしてきた事柄が見えて来た、そんな感じでしょう。

 経験という一瞬一瞬に消えて行く何者かを充分享受したいと思います。

 そしてそうしたことができなくなる時が来ます。
 その時は何ができるのか予測はできないのですが、それでも何事かできることを推量し、準備したいと思っています。

 昨夜はガクさんで先に車椅子になった友人と飲みました。
 リハビリで活路をと毎日がんばっています。
 今一番の教師は彼です。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 生老病死 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
| 三保小次郎日誌 |