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みのもんた氏をめぐる全体主義的傾向
2013-11-17 Sun 17:06
「材木用に森林が伐採されても、個々の木の問題ではない。壮大な計画の一部なのだ。」
(『ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男』(原題 The Hoax)から)

一本、そして一本と枯れていけば、やがて森も枯れることになる。
森が維持されれば、木々はやがて健やかに育つ。
これを個人主義と全体主義との対立とするには、あまりに荒っぽいかもしれない。

しかし、時代はどちらかに傾いていく。
中道を進むよりは、偏向するものだ。
後者を僕は息苦しいと感じる。

もう旧聞になるだろうか。
直後に書いたら、炎上したかもしれない。
みのもんた氏の息子の窃盗事件に対する親の責任にかんする賛否両論は、あきらかに世代意識を反映していた。

僕の属する高齢者世代の多数者が、子どもの責任を親も背負うものだと吐き捨てるように語った。

僕自身といえば、親の責任を追及するそのもの言いに驚がくしていた。

「辞めなければおさまらない日本の風潮」は以前より明確になっているし強まっている。

家という単位に責任が負わされていることに、保守的思考というよりは、全体主義的な感覚がにじんでいると思った。
かえって、それぞれの責任があいまいにされる、悪しき傾向だと感じた。
うっとうしかった。
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