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オダサガ和かん、静ひつ空間
2012-10-06 Sat 09:01
二畳台目(にじょうだいめ)を模した二辺にカウンターが回されてある。
客は、和服の「婦人」を前にして、椅子に座る。
六人かければ満席である。

ここはオダサガの和かん。

早い時間客は来ない。
穴場時間だ。
「ママ」を独り占めして話し込める。

話は尽きることがない。

一流どころで修養し、今も芸事の研さんをつづけている。
読書家だ。
話に錆がきていない。

いつだってあたらしいし、古典も踏まえている。

客はいろいろだ。
初対面から遠慮のないおばさんも来る。
なぜが全身自慢げな男も、不愉快をふくらませパンパンのおやじも来る。

「あなたは、ママのような人が好きなの、それで来ているの。」

大きなお世話。
良質なお話をお話しする。
通じません。

「お黙り。」

ママの援護射撃を潮時に退散する。

飲み屋の居心地は一時のものだ。
仲間ができ、いずれつるむようになる。
居心地のいい所ほどサロン化する。

退屈が増してくる。

グルメは話じゃ味わえない。
高級酒も酔えずばまずい酒。
物質は増えるほど貧しさが増す気がして説明困難症で立ち往生しそうだ。

欲にギラギラした若者は好きだ。

そういう人はどこかすぐれた所もあって、立っている。

しかしこちらは六十四歳の老人である。
欲が乏しくなっている。
食欲も性欲も細くなりほどほどで、万事に控え目になっていく。

サロン化すると、そうした若さのぎらつきがうっとうしくなる。

自分の若気を見るようで応援したい気もするが、老人は離れ消えていくものである。

ひとりママと対座するのが至高になってくる。
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