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僕のなかの被災地
2011-03-26 Sat 09:41
3.11、僕の中でも何かが失われた。

それが何なのか。
リストをつくるまでもない。
僕が失ったのは、いくつかの習慣だった。

トレーニング
読書
ドローイング
学習
トレーディング

余裕がなければ維持できない“贅沢品”ばかりだった。

心のなかにあきらかな屈折の痕跡がある。
地震、津波、原発事故がつぎつぎと閃光のように入射した。
みたこともない光景とともに、その残像は波紋となっていつまでも静まろうとしない。

それは余震のように僕をゆさぶる。

気持ちのゆとりが失われた。
僕の中にいまだにゆるまない緊張が走っている。
その緊張は僕をせき立てるが、どこへ向かっていいのか分からなかった。

日々、被災地の実情が伝わってくる。

なえた気持ちがゆさぶられる。
元気とはちがう。
自分ができることは何か、毎日問われているのを感じる。

今自分にできることを返していく、そう叱咤されている。

命をさらしている。
原発事故の現場で復旧にあたる従業員の人たちの顔がせまってくる。
この国の指導層の顔は数ヶ月で忘れ去っても、彼ら一人ひとりを僕たちはけっして忘れない。

“贅沢品”を心から余裕を持って楽しめるのはいつだろうか。

そういう時代を再びとりもどさないといけない。
心にゆとりをとり戻す日まで、被災地の再建もない。
心が再建されなければ、その日は来ない。
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