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『はじめての宗教論 右巻~見えない世界の逆襲』を読んで
2011-02-04 Fri 23:25
世をすね、おのれの非力をのろうドラ息子が親に向かって浴びせるセリフがあります。

「うんでくれって誰がたのんだ。」

頼まなくても生まれ、願わなくても死んでいきます。

親も切ない。
罵詈雑言をあびた親にして、生まれることも死ぬことも選べなかった。
生死は定めですから、選べません。

自殺は自らの選択というへ理屈がありますが、
急ぎ過ぎただけのことです。
死ぬことは定めです。

人の始まりと終わりに自由選択はありません。

始まりと終わりの外部性が人の悩みの根源にあります。
その間をいかに生きるか、を人は問うことができます。
しかしそうした人倫(倫理)を超えた所の問題には答えようがありません。

ドラ息子にも一理あるわけです。

気になりながら、うっとうしい気分を避けるように遠ざけていた本があります。
佐藤 優『はじめての宗教論 右巻~見えない世界の逆襲』がそうした一冊になるでしょう。

“突然、天から光が降りてきて、サウロは地に倒れてしまう。
(中略)
つまり、キリスト教における啓示を実存的なものと捉えることは間違いです。啓示というのは実存そのものを破壊します。むしろ、これまでのサウロの生き方を全否定する形で降ってくる。それは脱実存的です。”(P.131)

サウロは後にキリスト教を開祖したパウロのことです。
キリスト教徒を弾圧することに生きがいを感じる秘密警察の一員のような男でした。
『使徒言行録』(新共同訳聖書の表記による)の第九章は、そうした男の「サウロの回心」をめぐり、啓示の、つまりはキリスト教の根拠たる外部性について語られていきます。

“しかし、キリスト教徒にとって聖書とは、人間の知恵によって作られたものではありません。サウロが突然光に打たれたように、外部からの強烈な啓示が人間に降ってきた結果、できあがったものです。”(P.159)

“「宗教」というのは人間が作り出した幻影であるのに対し、キリスト教が伝えているのは「啓示」です。啓示によって宗教という幻影を破壊していくのが、実はキリスト教のメッセージであるということです。このような「非宗教的なキリスト教」を、いかに追求していくかということが、バルト以降のプロテスタント神学の課題になりました。”(P.178)

「啓示」などと、どうしょうもないことを言うものだと、
一蹴する若さもありませんし、
簡単に退けるほどに外部性の問題は簡単ではありません。


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(2009/12/08)
佐藤 優

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