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旅の個人企画ー唐招提寺金堂の彼方ー
2010-09-14 Tue 09:53
明日9時には京都駅に着きます。
そのまま近鉄線に乗り込み、10時12分には近鉄西ノ京駅です。
唐招提寺に直行します。その後法隆寺、薬師寺にまわります。

金堂は平面図でみれば、桁行5間、梁間2間の身舎の四周に庇を取り付けた桁行7間(28.04m)、梁間4間(14.61m)の小ぶりな建物です。



一日当りの密度、パフォーマンスを高めるのが事前の調査や、プラン・企画です。
旅を楽しむために準備に時間をかけます。
それは僕の場合、新たな知識を仕入れることと重なっています。


修繕のなった金堂をみるのが今回の短い旅の目的のひとつです。
10年におよんだ大修理のため、金堂との逢瀬は三度はじかれてしまったからです。
村松伸の論文「アジア建築史をいかに構想するか」、三宅理一との対談「世界をめぐる、アジアを渉る」(『アジア建築研究―トランスアーキテクチャー/トランスアーバニズム』INAX出版から)に盛りこまれてある問題意識を共有しながら、金堂の姿を観たいと思っています。

村松の問題意識の一つは、アジアといいながら偏狭な時間空間のなかに閉じこもったまま停滞する、建築史学への批判があります。

20世紀初頭、建築家伊東忠太は雲崗石窟(うんこうせっくつ)を発見したフィールドノートに「余は法隆寺の郷里を知りえて、その嬉しきこと限りなく」と記します。
インドのガーダーラを経由してきたギリシアと法隆寺との連関の証拠を発見したからです。
けれど、それ以来、日本建築の由来にまつわるイメージは、仏教伝来やシルクロード、唐時代にルーツを探ることに終始する、いびつなものになっていきます。



建築科の学生が日本建築史の定本として読むのは、太田博太郎『日本建築史序説』です。
彼はこう批判いたします。
“純粋無垢なる日本建築が日本という領土の中ですくすく育ったことを強調し、国粋的な建築史の虚構をねつ造している。そこでは琉球も無視され、中国や朝鮮からの伝播も付随的なものとして描かれてしまう。”

金堂からはまったく見えてこないもの。
そこから明らかにはみ出いくもの。
おさまりきれないもの。

そんなことを感受しながら、金堂を実感してきます。
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