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小沢よ、国家権力を掌握しこの国の閉塞を打ち破れ
2010-09-07 Tue 10:35
小沢は「潔白だ」、「黒だ」という言い方は好きではありませし、間違っています。
現実からはるかに超越したところから見下したものの見方です。
マスメディアが押し付けている論理は、超越的立場に自分をおき、時に応じて道徳・倫理の視点から政治を裁断することです。

100人いれば100の正義があります。
1,000人いれば1,000の主張があります。
でありながら実際には、世論というマスメディアがつくり出した幽霊がばっこしています。ノザバっています。

しかし、マスメディアは正義を代表する存在でしょうか。

マスメディア世論は唯一ではない、ある一つの正義を表現しているのだと思います。

今回の代表選を通じて見えてきたことがあります。
小沢に対する評価がメディアによって大きく異なったことです。
長い歴史のなか、マスメディアに独占されていた正義がついに分散しはじめたのです。

マスメディアはみごとに一本化しています。小沢は×です。

ネット世論では数字が逆転します。

「それは片寄っているからだ」
その通りです。
しかし、それはネット世論もマスメディアの世論も片寄っているという意味において、片寄っていると考えるのが妥当です。

そしてもっとも片寄っていたのは、2010年9月5日、大阪・梅田における代表選挙立会演説会の大衆の熱狂です。
YouTubeを聞いてください。



正義と正義の戦いにおいて、決着などありえません。
相手を倒すまでつづきます。
止めどなくつづく戦いは、宗教戦争にみられるように底なし沼に人々を引きずり込みます。

権力闘争はその最たるものです。

なら、どこで折り合いをつけるか。
そういう具体的な問題解決法が多数決であり法治国家という仕組みです。
法治国家では、それぞれが主張する正義の鉾を最後は選挙によって決着を付け、おさめます。

選挙によって、任期という期限付きの正義を認めるわけです。
また、法が成立したならば、合法という狭い範囲の正義に、甘んじなければならない。
それが法治国家のあり方です。


国民もまたそれに熟(な)れていかなければならない、というのが私の主張です。

小沢についていえば、彼を起訴できなかった。
それがすべてです。
推定無罪はスタートラインにすぎないのですが、それを足かせ手かせにしてはならないということです。

私は政治というデーモンにおいて、小沢一郎に菅直人よりはるかに魅力を感じています。
小沢に国家権力をにぎらせ、「豪腕」によってこの国の閉塞を打ち破るよう期待しています。
しかし権力闘争に勝ち抜かなければすべては絵に描いた餅です。

[小沢関連ブログ一覧]
・大衆は小沢が指導者としてすぐれていることを見抜いている
・小沢が憲法第七十五条を根拠に築いたのは何か
・小沢を叩け、叩けー独占的メディアによる集団バッシングー
・民主党は堂々と代表選を戦えー¥強、$弱、€弱が国難?ー
・やはり犯人は小沢だ、小沢以外にはない
・小沢よ、民主党代表選を勝ち抜き国家権力を掌握しろ
・小沢立つーなぜかくも小沢一郎は恐怖され嫌われるのかー
・やっぱ好きやねん、小沢一郎
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