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無縁仏に囲まれて
2019-08-26 Mon 19:12
 月に何件か墓地の勧誘電話があります。
 
「明日のために今日を生きている身ではない」と眠狂四郎のセリフを言い放って、電話を切りたい衝動にかられることがあります。

 両親のお墓は近くの菩提寺にあります。
 何十年かたちます、100年が過ぎます、千年を超えます。
 全ては無縁仏になります。

 誰の墓かかろうじて記録されていても、たかだか三代が記憶の限界でしょう。
 名は知れていても、それが何者か誰も知らないのです。
 墓は生者が祈るための場なのです。
 
 亡くなった者たちは別世界にいるのですから。
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我ら老人よ、押し込まれてはならない
2019-08-01 Thu 15:50
 セネカの『人生の短さについて』をはじめて読んだのはまだ十代の頃でした。
 キケロ『老境について』も同じ頃だと思います。
 ペンネームの小次郎は親友の名前から拝借したものですが、彼はそうした本をよみあさっているのを、気取りとみていたようで露骨に不評をもらしたのを覚えています。
 
 背伸びしていた?

 僕の中でそれは一つの物差しになって、機能していたと思います。
 
 キケロとセネカいずれも岩波文庫です。
 前者は吉田正通訳と中務哲郎訳、後者は茂木元蔵訳と大西英文訳、ともに読んでいます。

 気がつけばキケロ、セネカの生年をこえています。  
 繰り返し読み返していますが、機能しているようには感じなくなったのです。
 もう少し正確に表現していくと、私を次第に鼓舞しなくなったということができそうです。

 老年というものも一様でなく、青春がそうであったように当たり前のように様々です。 
 見かけも若く見える同輩や元気な老人と、そうでない老人。
 収入や資産や、子供たちや孫たちの存在などなど実質の不平等はもっと著しいものがあります。

 何より肉体の欠落が始まっています。

 七十を超えてきて、楽しみだったはずの読書一つ取っても、一つのメガネでは読み通すことが難しくなっています。
 遠近両用二個と、裸眼を交互に変えて視野や見え具合を調整するのです。
 LEDの部屋灯にLEDスタンドをつけ、万全の態勢もとります。

 最も好きなことが苦痛を伴ってくるのは脅威です。

 老年の緊迫する脅威に手こずる。
 いやむしろ立ち向かっていかないと押し込まれてしまう。
 億劫になりかねないのです。
 
 キケロとセネカ、彼らはその前に亡くなったのでしょう。
 我々古希老人は押し込まれてはいけない。
 身動きできなくなったら、おしまいです。
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アパッチ会
2019-07-08 Mon 09:30
 ラクビーで日に焼けた顔は、赤銅褐色だった。
 研ぎ澄まされた肉体と精悍な顔、大きく鋭い目が近寄ってくると、足がすくんだ。
 イニシャルがA、アで始まることもあったのだろう、僕らはアパッチと呼んでいた。

 今年の同窓会は十二名だった。
 常連だったKもOも鬼簿に入った。
 
 癌の発症、再発の告白が連続し、隣のN君がぼそっと首の周りを撫でた。
「俺はここを二回手術しているよ」
 
 高校の同窓会といっても中高一貫の男子校だ、女っ気がない。
 毎年先生夫妻をお呼びしてていたが、昨年先生が逝去し、奥様は介助の友人を同伴して出席された。
 足元が悪い。
 
 1周忌と呼ぶようだ。
 三回忌以降は「回忌」となる。
 奥様が形見分けを持って来ていた。
 
 万年幹事のYくんがあみだくじをつくり、僕はGenosのネクタイピンとカフスセットが当たった。 
 詰襟で袖に蛇腹がついた紺の制服に革靴。
 以来スーツというものが嫌いになったが、一度はつけないと供養にならない。
 
「妻が2ヶ月前に突然死した。湯船に浮かんでいた。」
 ふつふつと想いが溢れてくるのだろう、話が止まらない。
 幹事のY君がそれとなくとめる。
 
 ましな話といえば孫話。
 孫はいない。
 しかし喜ばしい。
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金縛りが教える「寝たきり」疑似体験
2019-06-08 Sat 13:40
 一、二回、金縛りの経験はあった。
 あっ、金縛りだと思ったが、いつまでも解けない。
 どこかいつもと様子が違った。
 
 これ以上の明晰はないほどきっちり目覚めていた。
 落ち着いて、待てば体がほぐれてくることも知っていた。
 心(意識)と体の目覚めに生じたタイムラグが引き起こしているのだ。

 しかし、待てども体は動かない。 
 起き上がれない。 
 そして左右にもがくこともできないと気づいた時、恐怖が襲った。 

 左右に体を揺する。
 それすらできない状態が続き、尋常でない事態に陥っていると不安が増幅する。 

 しかし脳梗塞、脳いっ血なら意識はないはずだ・・・などと思考だけはスピーディーに回転している。
 
 目覚めたとき、腹筋運動のことは全く覚えていなかった。
 朝から腹筋を意識するような筋トレマニアではない。
 昨日腹筋ローラーをはじめて使ったことを思い出す。
 
 スイスイ行けたので、数十回を3、4セットやっただろうか。 
 そして翌朝、起き上がれない。
 この出来事の因果関係が解けはじめた。
 
 筋肉を効果的に鍛えるツールが老人の腹筋を痛めつけていたようだ。
 
 腹筋が筋肉痛で固まっていることを理解するまでにどのくらいの時間があったろう。
 ベッドから脱出したのは、腹筋のフリーズと確信してからだ。
 足をベットの外に持ち出し、自然落下を利用し、体を立てた。
 
 自分の思い通りには動かない体。
 いや、まったく動かなくなった肉体。
 走り回る意識との激しい葛藤。

 それはいつか自分におとずれるであろう未来の、一種擬似体験であった。
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思い出は整理ができない何か
2019-05-07 Tue 09:08
 アルバムの整理に手がついていない。
 両親のアルバムである。 
 物置に放ったらかしにしてある。
 
 父が亡くなって二十年、母は三年前だ。
 
 重ねて、三十数冊になるアルバムがある。
 これは自分と家族の記録だ。
 こっちもそろそろ整理しないといけない。
 
 自分が捨てられず逡巡するうちに、二重になってしまった。
 このまま放置していたら、子供たちは僕同様の迷惑をこうむるに違いない。
 
 写真を撮らなくなった?
 いつも手元には携帯しているスマホがあるから、今まで以上に撮っている。
 だが、意味合いが違ってきているのだ。

 その時々、その場所を記憶しようとは思っていない。
 記録で十分である。
 数十分か、数時間、数日で消えてしまう記憶。
 
 曖昧になって忘れてしまえるほどの軽い記憶に価値があろうはずはない。
 
 で、もっぱらスマホで写すのはメモ写真である。
 メモの代わりに写真を撮る。
 記憶のための写真は撮らない、もっぱら記録であると自覚しているつもり・・・。
 
 記録と記憶。
 
 記憶のなかに埋もれている何か。
 記録は整理しやすいが、思い出はいつまでたっても整理がつかない何かだ。
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