小地図
2017-03-13 Mon 15:51
短いお経です。
般若心経262文字。
せめてこれぐらいは理解して死のうではないか。

そんな事を思い立ったのは四十をすぎたころでしょうか。

これまでに般若心経と付く百冊近くの文献を読みあさっています。
それで二十数年になるのですが、ぐらと足元がゆれるのはまったくおさまりませんね。
生死未明のままです。

年初からイスラーム研究に取りかかったのですが、その過程で新約聖書の研究にすすんできたので、流れに身をまかせ今はそっちのほうへと漂流しています。

早早に仏陀の道にかえっていきたいのですが、どうなる事やら。

一昨年でしたか、萩本欽一さんが七十三歳で駒沢大学の仏教学部に入学されました。
ひそかに共感を覚え、しかし同時に大学が欽ちゃんの思いと問いに答えられるものか、たいへん心配です。
しかしながら、一人で学ぶ手がかりになればそれで良いと思います。

私の一人旅の小地図は以下のとおりです。

新約聖書研究
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掛け時計の存在感
2016-05-14 Sat 16:15
それはAICHI TOKEIの掛け時計で、ゼンマイ巻きだ。
新築祝いで、平成3年にいただいた。

母は介護施設から帰宅すると、ゼンマイを巻いているかたずねてくる。
「巻いてるよ」
そう適当な嘘をいって七年が過ぎた。

母が亡くなって、初めてゼンマイを巻いた。
一人初七日法要。
一時間置に時を知らせる。

幼い頃住んでいた蒲田の家にも掛け時計があったことを思い出した。
夜中に、暗い土間の奥から神妙な音をひびかせていた。
僕も毎日ゼンマイを巻くようになるのだろうか、母がそうしたように。

掛け時計
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被災者を困らせる配給思想に決別を
2016-04-19 Tue 09:27
被災者が配給所の前に何時間も立たされ、並んで待たされる。
この光景を何度目撃したことだろう。
災害のたびに同じ映像が何の疑問もなく流される。

「員数分を厳密に手渡しにする」

大戦中の配給制度そのままのやり方がまかり通っている。

たとえばお握りであれば、箱詰めしたものをいくつか並べ、そこから各自が取っていくようにすればいいことだ。
かりに一人一個と決め、何人かの不心得者が出るかも知れない。
しかしそうした実数は微小な「不公平」に目くじらを立て、目のまえにくり返される甚大な「不公平」には口をつむぐのはどうか。

戦中配給思想に縛り付けられた公平観、正義観からいつ抜け出せるのだろう。
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老人の仙人化阻止プラン
2016-04-08 Fri 14:16
一日にできることは限られてある。

老年にあっては、絶対的限界として体力を意識するようになる。

三月は熊野純彦訳ハイデガー『存在と時間』と首っ引きで過ごした。
明けても暮れても、体力のギリギリまで読込んだ。
結果、他のやるべきことはすっ飛んでしまった。

四月に入り、木田 元 監訳ハイデガー『現象学の根本問題』に着手したが、予備知識が不足し、前に進めなかった。
そのため、カント『純粋理性批判』を中山 元訳全七分冊で一通り目をとおすことにした。
が、これはこれでおもしろくなった。

準備のつもりが本格的に読むことになった。

ハイデガーで充分こりていた。
体力の限界まで突っ込んだから、生活のバランスが崩れ切った。
ルーティーンを取戻すのがたいへんだったから、次の決め事を設けた。

1.日に三時間以上は『純粋理性批判』の読書に当てない。
2.おもしろい箇所があったら論文や他の著書などにも目をとおし、道草し、けっしておぼれない。
3.日課であるマーケットウォッチングもおろそかにせず、仙人化しないよう警戒する。
4.ウォーキング、ストレッチ、筋トレと身体を動かす時間を配分する。
5.先を急がない、今日を楽しむ。
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老人は無為に倦んじて
2016-01-13 Wed 13:27
早朝スポーツ新聞を買いに国立病院通りのコンビニに歩いていくと、駅へ向かい足早に、あるいは時々小走りになって時間短縮を試みる勤め人とぶつかりそうになる。
こちらは悠然と歩いている。
いかにも「悠悠自適」をただよわせ、脇に身をひいて受け流す。

ジャージにダウンジャケット、サンダルの老人に何の威厳もないだろうが、何事にも追掛けられることのない老人の矜持のようなものに囚われ、ついやってしまう。

そもそもスポーツ紙そのものが雑事の固まりである。
そこに書かれている一つとして、知ろうと知るまいと何の影響もない。
暇にあかせ、スタンドからつまみ上げたペーパーの、端から端まで舐めつくす?だろうか。

しかしまあ、「老人は無為に倦んじて」などというのは出来すぎ、言い過ぎというものだ。
そうした一瞬に自分の境遇を誇張したいのである。
無為をひけらかしたいのである。

潤沢な時間など誰にあってもあり得るはずもない。
小金もあって生活苦にわずらこともないのであろうが、それはそれで幸福とはいえない。
胸の内に沸々と無言の繰り言が泡のごとく浮き上がり、つまらぬ嫉妬が頭をもたげる。

足早に会社に向かう勤め人の強烈なベクトルが直射し、なくしたものを渇望する自分自身に、思わずたじろぐのである。
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