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すべての依存症に感謝しよう
2020-07-01 Wed 09:56
 疲れ切って帰宅した夜、孤独であった一日の葛藤を振り切って、害のない一服をつける。

 朝、デーサービス施設の裏手で、数人がタバコをすすっていた。
 ゆったり煙を楽しんでいる風情はない。
 休憩時間の寸暇、吸い込んで吐き出し、せわしなく煙を吸引していた。

 たかがタバコだ。
 それがやめられない。
 抜け出すのは難しい。

 病気だからだ。
 薬物依存症だ。
 たかがタバコに振り回される。

 肩身が狭くはなったが、アル中と違い、煙で暴力的にはならない。
 
 学生時代は金がなくてヘビースモーカーではなかった。
 勤めるようになってから歯止めも無くなった。
 29歳まで吸いつづけた。

 長男が生まれてタバコをやめた。
 15年間。
 44で再びタバコに復帰した。
 
 49でまたタバコをやめた。
 これも約15年で禁煙が途切れた。
 64から3ヶ月、半年と間欠的にやめたり吸ったりをくり返した。

 昨年3月に再びタバコをやめた。
 吸える場所が日々狭まっていた。
 吸いたいとなれば、実にいじましい行為が強いられた。

 人の目から隠れて吸うしかなくなった。

 依存症は人から自由を奪い取る。
 朝の一服、仕事の締めの一服、くちゃくちゃになった頭の中にニコチンを打ち込む一服。
 しかしながらいずれニコチンにせかされ、一服が価値を失う。

 依存症は人が自分の弱さや、抜きがたい依存体質や、主体性と言う名の嘘を見抜くために必要な体験の一つだ。
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死は人の価値に関係なく訪れる
2020-06-23 Tue 15:11
「感染の確率が一番高い場所を避けなさい、それが三密ですよ」

 メッセージは見事に国民をねじ伏せた。

 確率を図解した三密は浸透したが、間違った解釈も同時に野放しになった。
 三密の場所にいるはずの感染者がいる確率である。
 これはメッセージには含まれていない。

 おそらく10万人分の一人程度だろう。
 三密の場所で、15分か二十分でいい、十万人と過ごせば感染はかなり確度が高くなる。
 三密が場所の確率だとすれば、感染者がその場にいる確率とかけ算をしなければ正確な確率計算とは言えない。

 しかしそれでも我々はビビった。

 なぜだろう。

『Billions』のシーズン3だったと思う。
 不正を働いた医師が検事に言う言葉だ。
「ガン専門医だった。だいぶ前に人の生き死について悟った。死は人の価値に関係なく訪れる。」
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100歳の伯母は枯れ木のように逝く
2020-06-09 Tue 12:41
 四年前母が亡くなり、介護ホームの隣部屋に母の姉が残された。

 ホームから母の姉のお看取りの相談があった。
 十時半、後見人(弁護士)といっしょにホームドクターの説明を受けた。
「期末期医療における希望事項(リビング・ウイル)」にサインした
 
1.病状が悪化したとき、施設で行える範囲の治療を希望する。
2.食事を摂れなくなったとき、自然に任せて無理な治療は希望しない。
3.期末期医療の医療として、看取りケアを希望する。

 痩せ、しぼんでいた。
 枯れ木のようだ。
 眠っている。

 母の時もそうだった。
「わるい死に方ではない」と思った。
 100歳の伯母は枯れ木のように逝く。
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寝た切りと自律との境界にいて 16
2020-03-27 Fri 09:33
 腰を痛めてから、立ち上がることがおっくうになった。
 痛みがブレーキをかける。
 歩かなくなった。

 痛みが和らぐと、落ちていく一方の体力が心配で無理して歩いてみる。
 痛みがぶり返す。
 その繰り返しだ。

 体力が落ちたと実感した。
 自分の歩行スピードと周囲のスピートが格段に違っている。
 あっという間に取り残される。

 そこで、駅向こうのマックで読書して帰宅するウォーキングコースを実行した。

 往復で5000歩ほどになる。

 二つのコースがある。
 ともに駅ステーションを経由する。
 一つは駅まで三回角を曲がれば駅に到達する。

 もう一つは裏道コースだ。
 15回角を曲がらないと駅には着かない。
 体力の回復が目的だから、裏道コースが適している。

 人通りが少ない。
 人の流れや目を気にすることがない。
 自分のペースで歩けるのだ。

 賑やかな通りの車や人の流れを気にしないで気ままな気分で歩けた。

 二ヶ月こんなウォーキングを繰り返し、腰の痛みもずいぶんと和らいできた。
 歩くことに伴う苦痛が減った。

 腰痛以前、歩くことを苦痛に感じたことはなかった。
 平均すれば日に7、8千歩ほどだっだろう。
 2万歩を超えても気にはならなかった。

 歩きに自信があったはずだがどこかに欠点、欠陥があったのだろう。
 一口に体力というが、本当に漫然と歩くだけで良かったのか。
 その辺の改善、研究を進めたいと思っている。
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寝た切りと自律との境界にいて 15
2020-01-26 Sun 15:49
 ストレッチ、自重筋トレ、体幹トレーニングのいずれも欠かさず取り組んでいました。
 ストレッチにはほぼ毎日40分ほどかけていました。
 ですから、腰痛の再発には「納得」がいきません。

 ケアしてきたはずです。

 しかし納得できようと、できまいと再発は「事実」です。

 一つは、腰痛起こす「実態」がつづいていたことです。
 読書し、資料をあさり、パソコンを使います。
 日に数時間、長い時は10時間近く机の前に座っています。

 生活実態が変わらないのですから、腰痛の「原因」を取り除くことはできません。
 読書もパソコンも止めることはできないからです。
 そうした実態を重々承知した上で、予防策を講じてきたつもりでした。

 三つのトレーニングではカバーできない「弱点」、見落としがあったと考えるに至ります。

 その弱点は「筋膜のねじれ」にあるようです(かも知れない)。
 対策として「筋膜リリース」というトレーニングを加える必要がありそうです。
 けれど理屈も、トレーニング方法も手探り状態です。

 週末から早速トライしていますが、その成果がどうかは後日ブログで報告したい思います。
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