料理人山之内尚さんはどこにいるのでしょうね
2017-03-15 Wed 15:59
ここ五年ほど箱根に足しげく通うようになったのは、料理人山之内尚さんのお食事をいただくためでした。
平成二十三年七月、いきなり出されたのがずんだ餅でした。
甘味にはじまり甘味に終わる一貫した献立のスタイルはかわりません。

平成二十四年の年、行けなかったのは文月だけでした。

そんな具合いですから、わずか五年の事ですが「献立」はいつしか三十枚になっていました。

彼がBをやめたこと、女将が一年前に交通事故で亡くなっていた事を聞き及んで、箱根に出向く動機が消えてしまいました。

Bのホームページは、料理長山之内尚の懐石料理を打ち出していましたから、残念です。


半年ぶりの箱根です。
昨日は成川美術館から望む富士も雲間に隠れていました。
仙石原で新しく探し出した宿の外、今朝の箱根は雪がつもっていました。

とてもいい構えの宿でしたが、料理は山之内さんの30のメニューからはほど遠いものでした。

山之内尚さんの次の活躍場所が分かったらと調べていますが、手がかりは見つかりません。

いずれ世に出る料理人ですが、独立なり、移籍先が分かれば教えてもらいたいと思います。

成川美術館

仙石原の宿
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桜を歩く
2016-04-02 Sat 17:09
身体がへばると、気持ちもなえるものだ。
うつうつとした一週間を過ごした。
その間、3月19日〜25日の記録をみると、総歩数31,765歩、一日平均4,538歩だった。

風邪で身体も痛んでいたが、なにより気持ちが落ちこんでいた。

歩くと、身体も気持ちも代謝がすすみ、回復が早まるようだ。
3月26日~4月1日のそれは、63,123歩、9,018歩。

今日は友人と半日桜を観に歩いた。

二つのコースを歩く。

オダサガの自宅から相武台前のかにが沢公園桜祭り。
町田駅から芹が谷公園の町田桜祭り。

ひたすら歩き、17,000歩、からだとこころの代謝をはかる。

さくら2

さくら3

さくら4

さくら5

さくら6

さくら1
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ああ突然死
2016-03-29 Tue 16:06
町田駅南口の蕎麦屋が一軒閉じました。
昨年の大晦日に「突然死」です。
解体中の店に遭遇し、ガラス戸にはり付いた張り紙をみてがっくりきました。

熱かんに筍煮物、鮎甘露煮、天麩羅。
いつも和服のおかあさんと挨拶も交わせずお別れです。
ついぞ二階に上がることはありませんでした。

おかあさんのお兄さんか、弟さんがつくっていたと思うのですが、会うことができませんでしたね。

町へ出たって、目的という目的なんかありません。
ぶらりと立ちより、ちょいと一杯ひっかけ、ざるでもすすれば気分が落ちつく。
冷やでもいいし御燗でもいい。

暇つぶしした『存在と時間』も平らげ、少しグズグズしていたら、ろくなことがない。
やることがいよいよ少なくなって、とうぶんハイデガー著・木田 元監訳『現象学の根本問題』の研究でお茶を濁そうと思います。

木田 元監訳 『現象学の根本問題』
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『存在と時間』の魅力はアリストテレスのように哲学をすること
2016-03-27 Sun 10:32
熊野純彦訳『存在と時間』を読み終えあと、風邪をひきさんざんでした。
それでも収穫はハイデガーが超一流のアリストテレス学者であることを十二分に知りえたことです。
彼についていくなら、哲学をすることができるようになる、そんな予感がいたします。

ハイデガーには初学者には一歩としか見えない道のりを、百歩で駆け抜けていく緻密さがあるからです。

ですが、反対に「先験的決意性」は黒澤作品『生きる』に出てくる渡邊勘治(志村喬)の方がよほど描き切っていると感じましたし、「頽落」は山本周五郎『季節のない街』やゴーリキー『どん底』の方がイメージしやすいと感じました。
三十代後半の若者が書いたのですから、私のような老人には面映い部分が少なくありません。
とくに「時間性と歴史性」以降は、あわただしくとってつけたような立て付けの悪さが目立ってきて、がっかりいたしましたが、全編にわたりギリシャ哲学とりわけアリストテレスへ遡り、哲学の始原へ執拗にそれこそ念には念を入れ、立ち返っていくのです。

熊野純彦訳『存在と時間』を読み終え、魅力の一端を、そう記しておきたいと思います。
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河津桜にすぐるものあり、南禅寺仏像に「旬の幸 花○」
2016-03-15 Tue 10:16
河津へ行くのは数年ぶりのことです。
温泉民宿いとうのおかみさんには「河津桜は終わっていますが、よろしいですか」と念を押されましたが、復活した「旬の幸 花○」の料理が楽しみで華には興味はありません。

息子達が小中学校生の頃小さな別荘があって春休み、夏休み、正月休みとよく出かけたものですが、その頃はさして有名ではなかったこともあり、河津桜がもてはやされるようになったことを、かえって引いた気分で見ておりました。

見あきた風景なので観光に関心があるはずもなく、孤独のグルメで紹介された「ワサビ丼」でも食べようと出向きましたが、行列のありさまでそうそうに駅前の蕎麦屋にきりかえます。
ところがここも構えこそ変わっていませんが、食券機が設置され、河津桜の盛況でずいぶんと都会的になっていて、なにかがっかり気分です。
行きたいと思うほどの所もなかったのですが、三年ほど前から『河津平安の仏像展示館』が開設されていると聞き、出向いてみることにします。

「以前は獣道で急坂でしたが、階段が整備されいますよ。」

河津に通うようになったのは昭和六十年(1985年)からです。
その間、河津に平安仏教文化を伝える仏像の存在など一度も聞いたことがありません。

言い伝えによると、永享4年(1432年)室町時代の頃山津波によって河津の谷津港が壊滅したそうです。
当時は下田港も稲取港もありません。
谷津港が奈良・京都と関東を結ぶ物流の要衝であったようです。

その当時、物流中継地を背景とした財力があったのでしょう、河津には749年に行基が創立したと伝聞される那蘭陀寺(ならんだじ)という大寺があり、発掘し現存する仏像の数倍を擁していたようです。
それもこれもお堂とともに山津波によって埋没してしまいます。
それを南禅和尚が1541年に発掘し、お堂を作って安置し現在の南禅寺の由来となったようです。

しかしそのお寺も獣道ですから、永いあいだかえりみられない存在でありつづけていました。
南禅寺本尊・薬師如来座像[平安前~中期€]が旧国宝であったことや盗まれて戻ってきたなど、二十六体の仏像、破損仏の一体一体に由来があるのですが、それはおいおい河津に訪れての楽しみにしたいと思います。



「旬の幸 花○」からは毎年おせち料理も取り寄せていたので、それも復活するそうで楽しみにしています。
ここ数年は金沢のつば甚を利用していますが、なじんだ味がもどってきたのが率直にうれしい。

小箱にしつらえた箸付。大根と菜の花と海胆乗せの野菜ジェル。四ヶ月漬け込んだ豆腐バジル添え。わらび、銀杏豆腐、白身魚のおすまし。甘い油を蓄えたカンパチ・フグ・イカと肝などのお造り。焼き筍。鴨の牛蒡ソース。伊勢エビの立田揚げ。しめのジャコと山椒飯と甘味。
オーナーシェフはパワーアップして戻ってきました。

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