大バブルに小バブル
2017-03-08 Wed 14:57
日刊ゲンダイ〈3月8日付〉にパチンコチェーン社長の話がのっていて、彼がこんなことを言っている。
「パチンコ業界が成長したのは、むしろバブルが崩壊した後なんです。1987年、マーケット規模は10兆円でした。それが10年後には30兆円と、3倍になっている。」 
こいつはすごいと思ったね。
彼は年商一千億の社長だからすごい訳だけど、そこに関心したわけじゃない。

バブルでいい思いした人も、散々だった人も、全く無関係に生きてきた人もいるわけだけど、ぼくはまあまあいい思いをした口だったから、はじけてからは人並みに苦労した。
17万円の返済に追い立てられた。
月に5百万、12ヶ月で6千万だから、365日で割ると一日当り17万円返済していたことになる。

計算すればそうなる。
今年で第38期をむかえる自分の会社の20年ほど前の決算書をみれば、数秒で計算できる。

日掛で17万円は厳しい数字だし、今となっては信じられない思いもあるが、それは単に事実にすぎない。
2002年頃にはほとんど返済も終わって目処もついていたけど、少しは残っていて、全くのゼロ、つまり完済したのは2006年だった。

つまり、バブルがダメになって自分も痛めつけられていた頃、パチンコ業界はバブルになった。
そういう認識がなかったから関心した。
バブルは続いていた。
大きなバブルは崩壊したんだけど、ぼくのやらないパチンコとその業界がバブルだった。

年30兆円はすごい。
それで少し調べてみた。
JRAの年間馬券売上高のピークが1997年で4兆円を超えた。
パチンコバブルのピークといっしょだった。

株とかは得意ではなかったから、ぼくのバブルはもっぱら土地だった。
こんな漢字知らないだろうな。
一攫千金(いっかくせんきん)。
才覚があってそうなったではなくて、そういう時代にめぐりあって、そうなった。

そうゆうふつふつとわき上がる欲望みたいなものがまだ続いていたんだと、思った。
パチンコをしないからそれがどれほどか分からないけど、一攫千金を追い求めるバブルの世界が途切れず続いていた事実に驚いた。
ぼくはパチンコで当てて、あるいは馬券をとってどうなる数字でもないし、実際それどころではなかったから、バブルが形を変え生き抜いていたことに関心した。

で、今はどうなのか。

誰か教えてほしいな。
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プラチナ、成長できない世界の物語
2016-04-24 Sun 12:26
プラチナplatinumには三つの物語がある。
三つどころか千も万も物語りがあるだろうから、僕が知っているのはそれだけということ。
ぼくはどの物語も好きだ。

40億年前、太古の地球に隕石群が衝突し、goldとplatinumが2億年にわたり降り注いだ。
英科学誌ネイチャー‘Nature’に掲載されたマティアス・ウィルボルドの論文は、それら貴金属の地球外起源を明らかにしている。
科学が神秘の一端を解き明かし、神秘は前にもまして輝いて見える。

田中貴金属によると「プラチナの有史以来の生産量」は約6,700トン。
元素記号pt・原子番号78の密度は21.45だから、一辺が7mの立方体に納まってしまう(正確には6.784987064・・・mの三乗)。
原鉱石1トンの含有量はマリッジリング1個分約3g。希少価値というくり返し語られてきた物語。

そしてその3gは決して「老いることのない」、錆ることのない永遠の美。

第三は預貯金がplatinumやgoldの存在に限りなく近づく、現代経済社会の物語だ、それは悪夢かも知れないが。
goldやplatinumを持っていても、成長世界では魅力を欠いていた。
株や債券、預金のように利子は生まないからだ。

近年世界経済「長期停滞論」がささやかれるようになった。
非成長世界では限りなくゼロ利子に近い預金は貴金属とかわらない、不受胎資産となった。
預貯金はゼロ金利によって貴金属化=不受胎化していくのだろうか。

プラチナplatinumから現代経済社会の到達点を見る思いがする。
「ゼロ金利」はプラチナplatinumやgoldの元々の性質である。
成長できない世界、金利を産み出す体力もない世界を、プラチナplatinumは語り出しているように聞こえるのだ。
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それって究極のデフレでしょう?
2016-04-13 Wed 08:38
アベノミクスに対する明快なダメ出しだ。
ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が日本経済新聞の取材に語った。(日経新聞 2016/4/13付)

「値上げした商品が評価されなかった。市場は非常にシビアで、そこで値上げしてしまったことがよくなかった。僕らが考えているよりも消費者の状況はもっと悪い」

つかの間、日本経済は黒田マジックに酔った。
2013年4月4日、「量的・質的金融緩和」で将来の期待に期待したマインド・コントロールはネタバレの手品に終わった。
わずか三年でデフレ・マインドに舞い戻った。

そして、マイナス金利。
国債の利回り(新発10年物)がゼロ%割れし、マイナスになった。
いずれ現金、預金にディスカウントの値札がつくだろうとおびえている。

それって究極のデフレでしょう?
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バブル時代のある男
2016-03-12 Sat 10:02
Nの取り出した手帳は市販のものでは小型の方で、手のひらを隠さないほどに見えた。左欄はスケジュールを書きこむごく平凡なスタイルであったが、右欄はメモ欄になっていて、そこに細字でびっしりと何か書き込んである。文庫本の注釈や訳註に使われている5ポイントほどの文字がびっしりと埋め込まれていて、エンピツで塗りつぶしたように漆黒のページが次々と現れる。

仕事柄彼はスーツを着ないようで、いつもジャンパーのような軽装をしていたからスボンにでもそれをしのばせているのだろう。ズポンのポケットに突っ込んだ手帳は、小さいから折れにくいのだろうか。紙質は上等で柔軟でさらさらとめくっていくスピードにめを奪われ、何が書いてあるかはついぞ分からない。

「何を書きとめるんですか。」
「いやね、日記は苦手なもんだから。新聞だとか雑誌とか、目についた記事や感心する言葉なんかをね、書きとめている。」
勉強家だとすなおに思ったが、口には出さなかった。
地元で名の通った高級寿司店を経営していて、成功者であった。一介の寿司職人から店をもり立てたのだという自負があって、まだ俱楽部に入会したばかりの僕にそれを披露してくれたようだった。

「そんなに手間をかけるのはどうしてですか。」
「読返すんですよ。勉強は得意じゃないから、自分をはげましてくれる文言をみてると元気になる。」
自分を鼓舞する言葉。いつも振り返るために、こまめにメモを手帳に残す作業が、彼の自負心を支えていたのは確かのようだ。僕は彼のもう一軒の店舗である蟹専門店でそれをみせられたが、それは説得力のある証拠として今でもはっきり記憶している。

その頃僕も世間も浮かれていた。どう浮かれていたかを説明するのは難しいが、同業者の友人の三十坪ばかりの土地を仲介し、手数料に五百万近い大金を手に入れ、使い道もないので貯金したことを覚えている。Nもまた、成功の証しか、寿司屋では十分には満足できない気持ちもあってか、土地売買やマンション販売のための不動産会社を立ち上げていた。十年ほどのつきあいだったが、その辺の事情はくわしくは知らなかった。

自分もそういう土地売買にからんでいたから、とりたてておかしいこととは思わなかった。印象が薄かったのは時代が狂乱していたからか。自分も一時は十数ヶ所の土地を持ち、その売買から今となっては信じられない利益を上げ、ひとかどの資産家に自分もいつか加わるのだろうと勝手な慢心に酔いしれていた。

俱楽部の仲間で共通の友人Oさんが苦境にある、そんなうわさ話が私の耳にも入るようになり、その辺の事情をはっきりと知ることになった。それは今でも駅前に建てられたタワーマンションの彼方に、ブルーの三角帽子をのぞかせている。だだっ広いワンフローアーが各階にあって、ずいぶん放漫な間取りだった。

それが売れ残ったのもバブル崩壊で片づけていいのだが、節目が変わってからは土地という土地が、何か価値も実体もない落下物のように値を下げはじめ、それは虚空をどこまでも舞い降りていった。

飲み友のOさんはNの会社の役員として、役員保証をしていたらしい。本人からそのことを聞いたことはない。彼は本業の設計事務所のある自社ビルを出て、友人が使っていた選挙事務所に引っ越し、細々と仕事を手がけていたが、いつの間にか街から姿を消した。

そんななかNはいよいよ行き詰まり、どこかへ夜逃げしたという噂が立った。高級寿司店は閉じられ、何ヶ月か閉鎖されていた。
それがいつの間にか再開するようになり、以前と変わらぬ風景が戻っていた。狐につままれた気分の中、これも噂の範囲を出ないのだが、街金に追われ連れ戻されたそうだ。彼から何もとれなくなった債権者は彼の才覚から回収をはかる。いくらかは回収できるのだから、ないよりましという算段だろう。

こうしてさらに十年ほど営業していたが、とうとう閉店したのはそれから十年後のこと、一昨年で、そこは中華料理店に改装されていた。

今Oはどうしているか暗うつな思いがからまる。
が、Nにはまったく同情はない。友人のOを失ってこの街から消えて十数年たって、今生きているのかさえ分からない。プールや暖炉のあるメゾネットの住いや、持ちビルはこわされ今では建売や病院が建ってる。
何もかもが変わってしまった。僕は親友だったOさんのことを書きたくてはじめたのに、書いたのはNのことだった。

僕もNと同根だ。たまさか生き残ったにすぎない。
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人生の華
2016-02-19 Fri 14:41
1979年に設立した自社の第36期会計年度の決算作業を終えた。
税理士の整序した試算表〈五期比較財務諸表〉に基づき二三の問題を打合せた。
毎年のことではあるが、倒産や廃業に追い込まれることなく存続していることに少なからず感慨はある。

正確にもうせば、倒産や廃業の間際の経験なくして存続ということはなかった。

きわどい話しをもち出せば際限はない。

個人=小会社であるから、これとそれとを区別できるはずもない。
実際会社がつぶれるとなれば、小会社においては、真正なる連帯保証人であるから、ともに沈むのである。
いわばそれとこれとの統一体であるわけで、サラリーマンが会社という母艦の沈没と運命をともにすることなく、舟を代えることなどできない相談であった。

60日間の有給休暇の消化期間にあわただしく立ち上げた会社が、大波小波で沈没しなかったのはひと言でいえば僥倖につきる(今もそれによって食えているのだから)。

そうこう色々あっても、人生決算をしてなお自分は人に使われることはイヤだと思っている。

正直にもうせば、サラリーマンはむかなかった。
連日急かされるような通勤の労苦からは解放され、ほっとする間などないまま、お金のやりくりに追われる。
しかしそのこと自体も今や面白いと実感できる。

一日十七万の返済に追われた日々が数年あったが、それも四十代であったから乗り切れた。
借金がゼロになった時、何か卒業したような気分があって、かえって気力は薄らぎ、淡々とした気分で過ごすようになった。
五十代、六十代そしていまや七十代が間近である。

それでもなお、嵐のような日々を欲している。

それは人生の華だと思う。
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